。で、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ語は、何《ド》の時代においても、右の両に用ゐられて居る。
天徳四年内裡歌合の、八番右の兼盛の、
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ひとへづゝ八重山吹はひらけなむほどへて匂ふはなとたのまむ
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とある歌、判の詞に、「右歌、八重山吹のひとへづゝひらけむは、ひとへなる山吹にてこそはあらめ。心[#「心」に白丸傍点]はあるに似たれども、八重咲かずば、本意なくやあらむ」とあるもの、
応徳三年の若狭守通宗朝臣女子達歌合に、
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郭公あかずもあるかな玉くしげ二上山の夜はのひとこゑ
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の判詞に、「ふたかみ山、あかずなどいふ心[#「心」に白丸傍点]、いとをかし」云々とあるもの、
建保五年の歌合の、二十三番の、
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須磨の浦に秋をとゞめぬ関守ものこる霜夜の月は見るらむ
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の歌に、「秋をとゞめぬ関守、残る霜夜の月をみる心[#「心」に白丸傍点]宜し」とて、為[#(ス)][#レ]勝[#(ト)]と定家が追記したるもの、
景樹の、六十四番歌結、三十四番左の、「いかにせむ萩には
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