といふ所に興味は存するのである。
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茲に集合概念というたのは、厳格な意味に於て用ゐたのではなく、唯二つの内容が集合して一種特別な意味をなす点を捉へていうたのみで、勿論この集合概念の上には意味ある予定ある思想が働いて居るので、無意味の中から、意味を取り出すといふのではない。
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実質的内容は一つではあるが、形体的内容は、二つ以上に上《ノボ》ることがある。
実質的内容は、根本を作者の主観において居るが、形体的内容は、読者の客観を基礎として居る。
一体主観といふことは、背景的事実、認識すべからざる現象で、実際にはあらはれて来ない。すべて認識の上のことは、元来、皆主観から出るのであるが、これをいひあらはす場合には必ず客観的になつて来る。唯便宜上その程度によつて、主観とか、客観とか分つのであるが、もと/\皆主観に発した所の客観なのである。実質的内容は、作者の主観から発して客観的段階を経て、読者の客観を俟つて、その主観界に復活するものであるが、これにも度合があつて、読者に主観的分子を多く感ぜしむるものが主観詩で、客観的分子を多く感ぜしむるものが客観詩であ
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