なはない終止形と同じ形の連体法をうちくづすことはできない。即ちむしろ連体法の古形は(われ/\が今日に於てさかのぼる事のできる限りの)終止言と同一形式をそなへてをつた。とりもなほさず終止法と連体法とを包含した終止法(?)であつたのだといへるとおもふ。
みたまのふゆ[#「みたまのふゆ」に傍線]といふ語はこのふゆ[#「ふゆ」に傍線]が殖ゆの意であつて、即ちみたまのふゆるであると考へて見てもおちつかぬ。やはりふゆ[#「ふゆ」に傍線]をばふゆる事といはずにふゆ[#「ふゆ」に傍線]というた所に勢が存してをるのである。
雫はしづく[#「しづく」に傍線]の終止法か連体法かは分別することが出来ないけれども、やはりまた終止と連体とをば包含した終止法から出たものであると考へるが適当であるまいか。
古浄瑠璃の四天王高名物語其の他にやまふ[#「やまふ」に傍線]の道とかやまふ[#「やまふ」に傍線]のためにとかいふ語が見えてゐるのは、やはりさういふ所から出たのではあるまいか。といふのは京阪地方の語では連体名詞をば(い[#「い」に傍線]の韻をふくんだ)う[#「う」に傍線]の韻にかへることをさけてゐる(たゞの連用法には
前へ 次へ
全63ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング