たつた。
自分のよんだ限りの少しばかりの諸先達の著書のうちには、これこそとおもはれる考がなかつた様に記憶する。大抵やはり将然段から出たものとして、よそほし[#「よそほし」に傍線]とかおもほす[#「おもほす」に傍線]とかは音韻の転訛であるとやうにとかれてゐる。こゝに卑見をのべるに先だつて、まづある提言をなすべき必要を認める。それは「用言の語根は体言的の意味あひをもつてゐる」といふことである。全体体言といふ名称は形式の上にあるのではあるけれど、こゝには名詞というてしまうてはしつくりとをさまらぬから、かりに意味の上にこの名称を借用した。
語根が体言的の意味あひをもつてゐるといふと、こゝに自然と名詞語根説と語根名詞説とが対立してくる。即ち歌[#「歌」に傍線]とうたふ[#「うたふ」に傍線]とは何れが先に存してをつたかといふ争がもちあがる。自分は名詞語根説を把るから、勿論歌[#「歌」に傍線]がもとで、うたふ[#「うたふ」に傍線]は後になつたのであると答へる。けれども反対者の説く所にも理由のあることは認めてをる。然しそれが誤解であるといふことを少しばかり論じてみようとおもふ。
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