てわれにもともに心もとない思をさせる。こんな位ならば桜が咲かない方がましぢやに、とやうに解するがよからう。桐壺に※[#歌記号、1−3−28]あらき風ふせぎしかげのかれしより小萩が上ぞしづこゝろなき とあるのは、そは/\するのではない、更衣の母が源氏の上を心もとなくおもふのである。しづこゝろ[#「しづこゝろ」に傍線]をばしづえ[#「しづえ」に傍線]、しづくら[#「しづくら」に傍線]のやうにほんたうに[#「ほんたうに」に傍点]した[#「した」に傍線]としてはよろしくない。それかというてしづか[#「しづか」に傍線]では勿論わるい。しづく[#「しづく」に傍線]、しづる[#「しづる」に傍線]、しづむ[#「しづむ」に傍線]などに共通した下にしづむ様な心もちがあるのである。しづか[#「しづか」に傍線]、しづや[#「しづや」に傍線](やか)は、もとやはりしづむ[#「しづむ」に傍線]やうな心もちのしづ[#「しづ」に傍線]にか[#「か」に傍線]またはや[#「や」に傍線](やか)がついたものであらう。催馬楽に、しづや男といふ語が見える。これは物に動ぜぬ沈着な男であるのだといふ。このしづか[#「しづか」に傍線]とかしづや[#「しづや」に傍線](やか)とかいふ語が多く用ゐられたから、そこではじめてしづ[#「しづ」に傍線]といふ語に静といふ意が生じたのであらう。
 つけていふが、賤男、賤の家などのしづ[#「しづ」に傍線]もこの下といふ意味から生れたものではなからうか。かく[#「かく」に傍点]は今はないけれど、古い動詞の一つにちがひない。かき(垣)といふ語が今もなほ連用名詞法の俤を存してゐる。祝詞によくでる「あめのかきたつかぎり」のかき[#「かき」に傍線]には壁の字があてゝあるが、このかき[#「かき」に傍線]は垣といふ名詞ではなくてかきだつ[#「かきだつ」に傍線]とでも今ならばよむべき連用副詞法なのであらう。蜘蛛のいがきとか鳥巣をかくとかいふのは、懸けるのではなくてかまへる[#「かまへる」に傍点]とでも訳すべきで外と境をたてる意がある。
かくす[#「かくす」に傍線]、かくむ[#「かくむ」に傍線]、かこふ[#「かこふ」に傍線]、かくる[#「かくる」に傍線]は、このかく[#「かく」に傍線]といふ体言的の語があつて後に出来た語である事はいなまれぬ。
かづら・ぐ[#「かづら・ぐ」に傍線]といふ語についても同様の事がいはれる。かづら(鬘)といふ語があつてのちはじめて出来る筈の語で、決してかづらぐ[#「かづらぐ」に傍線]から鬘がうまれたとはいふことが出来ない。その外かた・ぐ[#「かた・ぐ」に傍線]とかはら・む[#「はら・む」に傍線]とかちか・ふ[#「ちか・ふ」に傍線](ちかごとなどいふ)、うら・ふ[#「うら・ふ」に傍線](うらなふと意殆ど同じい)、あが・ふ[#「あが・ふ」に傍線](あがなふと意殆ど同じい)、あぎと・ふ[#「あぎと・ふ」に傍線](魚のあぎと・ふをいふ。あぎとをはたらかしたもの。童児のあぎとふはあき・とふ[#「あき・とふ」に傍線]である)とかいふ語を見ても、かたぐ[#「かたぐ」に傍線]から肩[#「肩」に傍線]、はらむ[#「はらむ」に傍線]から腹[#「腹」に傍線]、ちかふ[#「ちかふ」に傍線]からちか[#「ちか」に傍線]、うらふ[#「うらふ」に傍線]、うらなふ[#「うらなふ」に傍線]から占[#「占」に傍線]、あがふ[#「あがふ」に傍線]、あがなふ[#「あがなふ」に傍線]から贖[#「贖」に傍線]、あきとふ[#「あきとふ」に傍線]から顎[#「顎」に傍線]などが生れたとは決して考へることはできない。
[#ここで字下げ終わり]
尚数行いひそへておくが、語根名詞説が正しくて名詞語根説が誤だと主張する論者に次の現象について説明を促さうと思ふ。
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(一)[#「(一)」は縦中横] たしかに体言といふべきものであつて、ある接尾語をよんで用言となる理由はどうであるか、即ち、
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あき・なふ(あきじこり、あきうど)
音・なふ  まか・なふ(まかだち)
まひ・なふ(わかければ道ゆき知らじまひ[#「まひ」に傍線]はせむ下べの使おひてとほらせ  憶良)
荷・なふ  甘・なふ  まじ・なふ(まじ物、まじこる)
[#ここから1字下げ]
等のなふ[#「なふ」に傍線]
[#ここから2字下げ]
たゝ・よふ(たゝふ、たゝはし)
不知《イサ》・よふ  もこ・よふ(むくめく[#「むくめく」に傍線]、むく/\し[#「むく/\し」に傍線])
[#ここから1字下げ]
等のよふ[#「よふ」に傍線]
[#ここから2字下げ]
さき・はふ  わさ・はふ
いは・ふ(い[#「い」に傍線]は忌、即ちゆ[#「ゆ」に傍線]には、ゆゝしのゆ[#「ゆ」に傍線]と関係
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