つゞいてまた用言になつたらしいものがあるかとおもへば、一方には用言の終止段から他の語につゞいて同じく再びある用言を形づくつたらしく見えるものがある。
[#ここから2字下げ]
いつく・し  いきどほろ・し
おそろ・し  さも・しい
うごも・つ
おこ(<く)・す  つも(<む)・る
こも・る  なゆ・ぐ
[#ここで字下げ終わり]
などが即ちそれである。然るに、をかしい事が此処にある。それは、意味も形式も殆ど同じ語で、将然言から出たのも終止言から出たのも二つともにあることである。
[#ここから2字下げ]
よそはし=よそほし
このまし=このもし
くるはし=くるほし
よろこはし=よろこほし

きか・す=きこ・す  おもは・す(敬)=おもほ・す  おは・す=おほ・す
とゞろか・す=とゞろこ・す(古事記、岩戸びらきの条)
[#ここで字下げ終わり]
人はこれらの終止段から出たらしい語をば悉くあ[#「あ」に傍線]の韻がお[#「お」に傍線](即ちう[#「う」に傍線])にうつゝた音韻の転訛であるといふけれども、それでは何やら安心のならぬ所があるやうにおもふ。その不安心の点を出発地として、下のやうな推論がなりたつた。
自分のよんだ限りの少しばかりの諸先達の著書のうちには、これこそとおもはれる考がなかつた様に記憶する。大抵やはり将然段から出たものとして、よそほし[#「よそほし」に傍線]とかおもほす[#「おもほす」に傍線]とかは音韻の転訛であるとやうにとかれてゐる。こゝに卑見をのべるに先だつて、まづある提言をなすべき必要を認める。それは「用言の語根は体言的の意味あひをもつてゐる」といふことである。全体体言といふ名称は形式の上にあるのではあるけれど、こゝには名詞というてしまうてはしつくりとをさまらぬから、かりに意味の上にこの名称を借用した。
語根が体言的の意味あひをもつてゐるといふと、こゝに自然と名詞語根説と語根名詞説とが対立してくる。即ち歌[#「歌」に傍線]とうたふ[#「うたふ」に傍線]とは何れが先に存してをつたかといふ争がもちあがる。自分は名詞語根説を把るから、勿論歌[#「歌」に傍線]がもとで、うたふ[#「うたふ」に傍線]は後になつたのであると答へる。けれども反対者の説く所にも理由のあることは認めてをる。然しそれが誤解であるといふことを少しばかり論じてみようとおもふ。
[#ここから2字下げ]
前へ 次へ
全32ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング