が固い殻に包まれてぢつとしてゐるのも、蛇が冬眠をするのも、昔の人には、余程不思議な事に思はれたに相違ない。光線もあたらない、暗黒の中に、ぢつとして居たものが、やがて時がくれば、其皮を脱いで、立派な形となつて現れる。古代人は、そこに内容の充実を考へたのであらう。
此話は、日本の神道で最大切な事に考へて居た、ものいみ[#「ものいみ」に傍線]と関聯がある。ものいみ[#「ものいみ」に傍線]は、此自然界の現象から思ひついた事であるかとも考へられるが、或は、さうした生活があつた為に、此話が出来たのかも知れない。此は今のところ、どちらとも言へないが、とにかく、古く日本には、神事に与る資格を得る為には、或期間をぢつと家の中、或は山の中に籠らねばならなかつたのである。
も[#「も」に傍線]に籠ると言ふことは、蒲団の様なものを被つてぢつとして居る事であつた。大嘗会の真床覆衾(神代紀)が其である。さうして居ると、魂が這入つて来て、次の形を完成すると考へた。其時は、蒲団がものを包んでゐるので、即かひ[#「かひ」に傍線]である。さうして外気にあたらなければ、中味が変化を起すと考へた。完成したときがみあれ[#「みあれ」に傍線]である。此は昔の人が、生物の様態を見て居て考へたことであつたかも知れない。
       うつ[#「うつ」に傍線]・すつ[#「すつ」に傍線]・すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]
話が多少複雑になつて来たので、こゝらで単純に戻したいと思ふ。
古い言葉に、此はうつぼ[#「うつぼ」に傍線]にも関係があると思ふが、うつ[#「うつ」に傍線]と言ふ語がある。空・虚、或は全の字をあてる。熟語としては、うつはた[#「うつはた」に傍線](全衣)・うつむろ[#「うつむろ」に傍線](空室)などがある。うつ[#「うつ」に傍線]は全で、完全にものに包まれて居る事らしい。このはなさくや[#「このはなさくや」に傍線]姫のうつむろ[#「うつむろ」に傍線]は、戸なき八尋殿を、更に土もて塗り塞いだとあるから、すつかりものに包まれた、窓のない室の意で、空の室を言つたのではないと思ふ。たゞ其が、空であつた場合もあるのである。
うつ[#「うつ」に傍線]に対してすつ[#「すつ」に傍線]と云ふ語がある。うつ[#「うつ」に傍線]には二通りの活用がある。うて[#「うて」に傍線]・うて[#「うて」に傍線]・うつ[#「うつ」に傍線]・うつる[#「うつる」に傍線]・うつれ[#「うつれ」に傍線]と活く場合と、うつて[#「うつて」に傍線]・うつて[#「うつて」に傍線]・うつゝ[#「うつゝ」に傍線]・うつゝる[#「うつゝる」に傍線]・うつゝれ[#「うつゝれ」に傍線]と活く場合と、此二様がある。なげうつ[#「なげうつ」に傍線]は、ものを投げた時の音の聯想から、うちつける[#「うちつける」に傍点]に感じが固定した様であるが、古くはさうでなかつた。現在の語感から古語を解剖すると、往々誤りを生じる。此なげうつ[#「なげうつ」に傍線]も、たま[#「たま」に傍線]の信仰に照して見ると、どうして此語が出来たか、元の形が訣ると思ふ。
琉球の古語のすぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]は、ものゝ中から生れ出ることを意味した語らしい。此は蘇生する・復活するなどに近い気分を持つた語である。日本のうつ[#「うつ」に傍線]にも、其がある。此すぢゆん[#「すぢゆん」に傍線]の語根すぢ[#「すぢ」に傍線]は、他界から来る神を表した語らしく、日本のたま[#「たま」に傍線]と略、同義語の様である。柳田先生は、此すぢ[#「すぢ」に傍線]を、我国の古語いつ[#「いつ」に傍線](稜威)と一つものに見られた。
いつ[#「いつ」に傍線]は「みいつ[#「いつ」に傍線]を祈りて」とか「いつ[#「いつ」に傍線]のちわきにちわきて」などの用語例に入つて来ると、多少内容が変つて来るが、ほんとうは、い[#「い」に傍線]列とう[#「う」に傍線]列とが近くて区別のなかつたとき、いつ[#「いつ」に傍線]ともうつ[#「うつ」に傍線]とも言うたらしく、ちはやぶる[#「ちはやぶる」に傍線]はいつはやぶる[#「いつはやぶる」に傍線]で、またうつはやぶる[#「うつはやぶる」に傍線]とも言うて、魂の荒ぶる方面を言うたのだが、其がいつか、神の枕詞になつてしまうた。恐らく、さうした暴威を振ふ神のあつたことを考へた事から出来た語であると思はれる。
とにかく、琉球のすぢ[#「すぢ」に傍線]と日本のうつ[#「うつ」に傍線]とは、おなじ意味の言葉である。すだつ[#「すだつ」に傍線]は、巣に聯想が向いた為に、巣立つ[#「巣立つ」に傍線]と説いて、主として鳥を聯想するやうになつたが、語根 stu である事を考へれば、すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は同じものであると見ていゝ。すつ[#「すつ」に傍線]は、一方すてる[#「すてる」に傍点]と言ふ意を持つ様になつた。うつ[#「うつ」に傍線]も、うつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟・うつせみ[#「うつせみ」に傍線]など、からつぽ[#「からつぽ」に傍点]の意にも、目のないものゝ意にも考へられる様になつた。
うつ[#「うつ」に傍線]・すつ[#「すつ」に傍線]・すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は、何れもたま[#「たま」に傍線]の出入に就いて言うた語である。たま[#「たま」に傍線]がものゝ中でなりいづ[#「なりいづ」に傍線]――あるゝ[#「あるゝ」に傍線]に至る――までの期間に用ゐた言葉であつたのだが、其がいつか、かひ[#「かひ」に傍線]の中に出入することを表す動詞ともなつた。ものゝ中に這入つて来る事を考へたと同時に、外へ出る事を考へた。さうして出る方ばかりに使はれる様になつて、這入る方の考へが段々薄らいで行つた。すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は其の代表的な言葉だと見られよう。
       石成長の話
日本には、古くから石成長の話がある。また漂著神《ヨリガミ》の信仰がある。此もたま[#「たま」に傍線]成長の信仰と関係があつて出来たものだと思ふ。たま[#「たま」に傍線]が成長をするのに、何物かの中に這入つて、或期間を過すと考へた事から、其容れ物として、うつぼ舟[#「うつぼ舟」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]を考へ、また衣類・蒲団の様なものにくるまる事を考へたのであるが、更に此たま[#「たま」に傍線]は、石の中にも這入ると考へた。どうして石の様なものゝ中に這入ると考へたか、とにかく、日本の古代にはさうした信仰があつた。此が後に、たま[#「たま」に傍線]が神に飜訳せられて考へられる様になると、神が石になると信じられる様になつた。今度アルスの児童文庫の中の一冊として書かれた柳田先生の「日本伝説集」にも、石の成長する話が出て居るが、先生はこれまでにも、さうした石の成長する話をたくさん書かれて居るので、「君が代は千代に八千代に」の歌なども、単に詩人の空想から、あゝした言葉を連ねたゞけではない。既に古くさうした信仰があつて、あの歌は出来たのだと論じられた事もある。
どうして、石の様なものが成長する、と考へたのであらうか。拾うて来た石が、家に帰りつくまでに大きくなつたとか、祠に祀つたのが一晩の中に大きくなつて祠を突き破つたとかいふ話が、数限りなく諸国にある。古代人はさうした信仰をもつた。小さい間は、大きくなると思うて居るのだらうが、其から後は信仰である。目に見えない事を信ずるのだから、信仰といふより外に、説明のしようがない。どうしてそんな信仰を持つ様になつたか。先生にも既に説明があつたが、茲で少しばかり、私の考へを述べて見たい。
       神の容れ物としての石
前に、此石成長の話も、たま[#「たま」に傍線]成長の信仰と関係がある、木や竹の中に這入つて成長すると考へたたま[#「たま」に傍線]が、石の中にも這入る、と考へたと述べたが、後世の考へからすると、木や竹ならば、這入つても成長するだけの空間があると考へられるが、石のやうなものでは、第一這入る事も出来ず、其が大きくなるなどゝいふ事は、到底考へられない事だと思ふが、昔はさう信じたので、即、たま[#「たま」に傍線]が其中で成長すると信じたので、成長してある時期が来ると、前のうつぼ[#「うつぼ」に傍線]・たまご[#「たまご」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]の場合の様に、やはり石が割れて神が出て来ると考へたのであるが、其石から神が出て来ると言ふ話の中間の一部分――石が大きくなると言ふ一部分だけ――が発達して来たので、遂に我々には、訣のわからぬ話になつて了うたのである。
人や動物が化石したと言ふ話も、実はこの信仰の中間に出来たものだと思はれる。石の中にたま[#「たま」に傍線]が這入つたとだけを考へると、人が石になつた、犬が石になつた、と考へる様になる。沖縄には、殊にさうした話が多い。此を逆に考へると、死んで石になつたとの考へも出て来る。さよ[#「さよ」に傍線]姫の化石譚の様なものが出来て来るのだが、此考へは反対だと思ふ。
此石が、神の乗り物・容れ物と考へられた例が、段々ある。石がぢつとして居ないで、よそからやつて来る場合がある。石にたま[#「たま」に傍線]が這入ると言ふ信仰には、たま[#「たま」に傍線]がよそからやって来て這入るのと、既に入つたものが、他界からやつて来ると考へたのと、此二つがあつた様だ。後者は、海岸に殊に多い。古くからあつた像石《カタイシ》信仰が其である。大洗の磯崎神社の像石は、此有名な一つで、一夜の中に、海中から出現した神だ、といはれて居る。
       おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]とおほものぬし[#「おほものぬし」に傍線]と
おほなむち[#「おほなむち」に傍線]とすくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]とが一つものに考へられたには、理由がある。すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]が他界から来た神である事は前に述べたが、おほくにぬしの[#「おほくにぬしの」に傍線]命が、此すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]を失うて、海岸に立つて愁へて居ると、海原を光《テラ》して、依り来る神があつた。「何者だ」と問ふと、「俺はお前だ。お前の荒魂《アラミタマ》・和魂《ニギミタマ》・奇魂《クシミタマ》だ」と答へたとある。大和の三輪山に祀つたおほものぬしの[#「おほものぬしの」に傍線]命であるが、此三つの魂が、おほなむち[#「おほなむち」に傍線]について居たのである。たま[#「たま」に傍線]には、形はないが、少くとも此話では、光りをもつて居た事が考へられる。
日本の神々に、いろ/\な名があるのは、一の体に、いろ/\な魂が這入ると考へたからで、其魂に、其々の名があるからだと思ふ。元は、体はたま[#「たま」に傍線]の容れ物だと考へた。三輪山のおほものぬしの[#「おほものぬしの」に傍線]命は、此神自身は、人格を具へて居ない、即、眼に見えない精霊で、おほものぬし[#「おほものぬし」に傍線]のもの[#「もの」に傍線]其ものが示して居るやうに、純化した神ではないのである。其で、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]自身ではないが、又、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]でもある事になるのである。
       漂著石――石移動の信仰
かやうにたま[#「たま」に傍線]だけがやつて来る事もあり、其が体にくつつく場合もあり、更に此たま[#「たま」に傍線]が、石に這入る事もあり、石に這入つてやつて来ることもあると考へたので、一夜の中に、常世の波にうち寄せられて、忽然と石が現れ、見る/\中に、大きくなつたといふ信仰譚が、其処から発生した。石が流れ寄るなどゝは考へられない事だが、たま[#「たま」に傍線]が依り来る一つの手段として、こんな方法を考へたのだと見ればよい。其所に石移動の信仰も生れた。柳田先生の生石の話が其である。
石が大きくなつたと言ふ話に、石と旅行をした話が附随して居るものがある。後世で
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