て来た石が、家に帰りつくまでに大きくなつたとか、祠に祀つたのが一晩の中に大きくなつて祠を突き破つたとかいふ話が、数限りなく諸国にある。古代人はさうした信仰をもつた。小さい間は、大きくなると思うて居るのだらうが、其から後は信仰である。目に見えない事を信ずるのだから、信仰といふより外に、説明のしようがない。どうしてそんな信仰を持つ様になつたか。先生にも既に説明があつたが、茲で少しばかり、私の考へを述べて見たい。
神の容れ物としての石
前に、此石成長の話も、たま[#「たま」に傍線]成長の信仰と関係がある、木や竹の中に這入つて成長すると考へたたま[#「たま」に傍線]が、石の中にも這入る、と考へたと述べたが、後世の考へからすると、木や竹ならば、這入つても成長するだけの空間があると考へられるが、石のやうなものでは、第一這入る事も出来ず、其が大きくなるなどゝいふ事は、到底考へられない事だと思ふが、昔はさう信じたので、即、たま[#「たま」に傍線]が其中で成長すると信じたので、成長してある時期が来ると、前のうつぼ[#「うつぼ」に傍線]・たまご[#「たまご」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍
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