傍線]を、我国の古語いつ[#「いつ」に傍線](稜威)と一つものに見られた。
いつ[#「いつ」に傍線]は「みいつ[#「いつ」に傍線]を祈りて」とか「いつ[#「いつ」に傍線]のちわきにちわきて」などの用語例に入つて来ると、多少内容が変つて来るが、ほんとうは、い[#「い」に傍線]列とう[#「う」に傍線]列とが近くて区別のなかつたとき、いつ[#「いつ」に傍線]ともうつ[#「うつ」に傍線]とも言うたらしく、ちはやぶる[#「ちはやぶる」に傍線]はいつはやぶる[#「いつはやぶる」に傍線]で、またうつはやぶる[#「うつはやぶる」に傍線]とも言うて、魂の荒ぶる方面を言うたのだが、其がいつか、神の枕詞になつてしまうた。恐らく、さうした暴威を振ふ神のあつたことを考へた事から出来た語であると思はれる。
とにかく、琉球のすぢ[#「すぢ」に傍線]と日本のうつ[#「うつ」に傍線]とは、おなじ意味の言葉である。すだつ[#「すだつ」に傍線]は、巣に聯想が向いた為に、巣立つ[#「巣立つ」に傍線]と説いて、主として鳥を聯想するやうになつたが、語根 stu である事を考へれば、すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ
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