見当をつける事は、却々《なかなか》困難であるが、先大体、たま[#「たま」に傍線]とたましひ[#「たましひ」に傍線]とは、違ふものだと言ふ見当だけをつけて、此話を進めたい。いづれ、最初にたま[#「たま」に傍線]の考へがあつて、後にたましひ[#「たましひ」に傍線]の観念が出て来たのだらう、と言ふ所に落ちつくと思ふ。
たま[#「たま」に傍線]の分化――神ともの[#「もの」に傍線]と
日本人のたま[#「たま」に傍線]に対する考へ方には、歴史的の変化がある。日本の「神」は、昔の言葉で表せば、たま[#「たま」に傍線]と称すべきものであつた。それが、いつか「神」といふ言葉で飜訳せられて来た。だから、たま[#「たま」に傍線]で残つて居るものもあり、神となつたものもあり、書物の上では、そこに矛盾が感じられるので、或時はたま[#「たま」に傍線]として扱はれ、或所では、神として扱はれて居るのである。
たま[#「たま」に傍線]は抽象的なもので、時あつて姿を現すものと考へたのが、古い信仰の様である。其が神となり、更に其下に、もの[#「もの」に傍線]と称するものが考へられる様にもなつた。即、たま[#
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