太子に仕へ、中世以後の日本の民俗芸術の祖と謂はれて居る、秦[#(ノ)]河勝には、壺の中に這入つて三輪川を流れて来た、との伝説が附随して居る。此壺には、蓋があつた。桃太郎の話よりは、多少進化した形と見られる。
       たま[#「たま」に傍線]のいれもの
日本の神々の話には、中には大きな神の出現する話もないではないが、其よりも小さい神の出現に就いて、説かれたものゝ方が多い。此らの神々は、大抵ものゝ中に這入つて来る。其容れ物がうつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟である。ひさご[#「ひさご」に傍線]のやうに、人工的につめ[#「つめ」に傍点]をしたものでなく、中がうつろ[#「うつろ」に傍点]になつたものである。此に蓋があると考へたのは、後世の事である。書物で見られるもので、此代表的な神は、すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]である。此神は、適切にたま[#「たま」に傍線]と言ふものを思はす。即、おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の外来魂の名が、此すくなひこな[#「すくなひこな」に傍線]の形で示されたのだとも見られる。
此神は、かゞみ[#「かゞみ」に傍線]の舟に乗つて来た。さゝぎ[#「さゝぎ」に傍線]の皮衣を着て来たともあり、ひとり[#「ひとり」に傍線]虫の衣を着て来たともあり、鵝或は蛾の字が宛てられて居る。かゞみ[#「かゞみ」に傍線]はぱんや[#「ぱんや」に傍線]の実だとも言はれるが、とにかく、中のうつろ[#「うつろ」に傍点]なものに乗つて来たのであらう。嘗て柳田国男先生は、彼荒い海中を乗り切つて来た神であるから、恐らく潜航艇のやうなものを想像したのだらうと言はれた。
かやうに昔の人は、他界から来て此世の姿になるまでの間は、何ものかの中に這入つてゐなければならぬと考へた。そして其容れ物に、うつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟・たまご[#「たまご」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]などを考へたのである。
       ものいみ[#「ものいみ」に傍線]の意味
何故かうしてものゝ中に這入らねばならぬのであつたか。其理由は、我々には訣らぬ。或は、姿をなさない他界のものであるから、姿をなすまでの期間が必要だ、と考へたのであつたかも知れない。併し、もう一つ、ものがなる為には、ぢつとして居なければならぬ時期があるとの考へもあつた様だ。えび[#「えび」に傍線]・かに[#「かに」に傍線]
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