居る。くはしくは、なりいづ[#「なりいづ」に傍線]と言ふべきである。
此なる[#「なる」に傍線]の用語例が多くなつて来ると、な[#「な」に傍線]と言ふ語だけに意味が固定して、な[#「な」に傍線]を語根とした、なす[#「なす」に傍線]と言ふ語なども出来て来た。なる[#「なる」に傍線]と言ふ語には、別に、ものゝ内容が出来てくる――充実して来る――と言ふ同音異義の語があるが、元は一つであるに相違ない。同音異義でなく、意義の分化と見るべきであらう。
       発生に於ける三段の順序
たまご[#「たまご」に傍線]の古い言葉は、かひ(穎)である。「うぐひすの、かひこ[#「かひこ」に傍線]の中のほとゝぎす」などの用語例が示してゐる様に、たまご[#「たまご」に傍線]の事をかひこ[#「かひこ」に傍線]と言うた。蚕にも此意味があるのかも知れぬが、此は姑く、昔からの「飼ひこ」として預けて置かう。
ものを包んで居るのが、かひ[#「かひ」に傍線]である。米のことをかひ[#「かひ」に傍線]と言うたのは、籾に包まれて居るから言うたので、即、籾がかひ[#「かひ」に傍線]なのだが、延いてお米の事にもなつたのである。ちかひ[#「ちかひ」に傍線]・もゝかひ[#「もゝかひ」に傍線]・しる[#「しる」に傍線]にもかひ[#「かひ」に傍線]にもなどの、用語例で見ると、昔は籾のまゝ食べたのかとも思はれる。籾は吐き出したのであらう。さうでないと、かひ[#「かひ」に傍線]の使ひ方が不自然である。
かひ[#「かひ」に傍線]は、もなか[#「もなか」に傍線]の皮の様に、ものを包んで居るものを言うたので、此から、蛤貝・蜆貝などの貝も考へられる様になつたのであるが、此かひ[#「かひ」に傍線]は、密閉して居て、穴のあいて居ないのがよかつた。其穴のあいて居ない容れ物の中に、どこからか這入つて来るものがある、と昔の人は考へた。其這入つて来るものが、たま[#「たま」に傍線]である。そして、此中で或期間を過すと、其かひ[#「かひ」に傍線]を破つて出現する。即、ある[#「ある」に傍線]の状態を示すので、かひ[#「かひ」に傍線]の中に這入つて来るのが、なる[#「なる」に傍線]である。此がなる[#「なる」に傍線]の本義である。
なる[#「なる」に傍線]を果物にのみ考へる様になつたのは、意義の限定である。併し果物がなると言うたのも、其中にも
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