」に傍線]は同じものであると見ていゝ。すつ[#「すつ」に傍線]は、一方すてる[#「すてる」に傍点]と言ふ意を持つ様になつた。うつ[#「うつ」に傍線]も、うつぼ[#「うつぼ」に傍線]舟・うつせみ[#「うつせみ」に傍線]など、からつぽ[#「からつぽ」に傍点]の意にも、目のないものゝ意にも考へられる様になつた。
うつ[#「うつ」に傍線]・すつ[#「すつ」に傍線]・すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は、何れもたま[#「たま」に傍線]の出入に就いて言うた語である。たま[#「たま」に傍線]がものゝ中でなりいづ[#「なりいづ」に傍線]――あるゝ[#「あるゝ」に傍線]に至る――までの期間に用ゐた言葉であつたのだが、其がいつか、かひ[#「かひ」に傍線]の中に出入することを表す動詞ともなつた。ものゝ中に這入つて来る事を考へたと同時に、外へ出る事を考へた。さうして出る方ばかりに使はれる様になつて、這入る方の考へが段々薄らいで行つた。すだつ[#「すだつ」に傍線]・そだつ[#「そだつ」に傍線]は其の代表的な言葉だと見られよう。
       石成長の話
日本には、古くから石成長の話がある。また漂著神《ヨリガミ》の信仰がある。此もたま[#「たま」に傍線]成長の信仰と関係があつて出来たものだと思ふ。たま[#「たま」に傍線]が成長をするのに、何物かの中に這入つて、或期間を過すと考へた事から、其容れ物として、うつぼ舟[#「うつぼ舟」に傍線]・ひさご[#「ひさご」に傍線]を考へ、また衣類・蒲団の様なものにくるまる事を考へたのであるが、更に此たま[#「たま」に傍線]は、石の中にも這入ると考へた。どうして石の様なものゝ中に這入ると考へたか、とにかく、日本の古代にはさうした信仰があつた。此が後に、たま[#「たま」に傍線]が神に飜訳せられて考へられる様になると、神が石になると信じられる様になつた。今度アルスの児童文庫の中の一冊として書かれた柳田先生の「日本伝説集」にも、石の成長する話が出て居るが、先生はこれまでにも、さうした石の成長する話をたくさん書かれて居るので、「君が代は千代に八千代に」の歌なども、単に詩人の空想から、あゝした言葉を連ねたゞけではない。既に古くさうした信仰があつて、あの歌は出来たのだと論じられた事もある。
どうして、石の様なものが成長する、と考へたのであらうか。拾う
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング