どう、しませ。
天子のすぢよ、船頭しませ。
われはかくして、女君のおすぢを、をがみ迎へむ。
天子のおすぢを、をがみ迎へむ。
[#ここで字下げ終わり]
と言ふ意味であらうが、此は、巫女を拝み、君主を拝む事に因つて、それ/″\のすぢ[#「すぢ」に傍線]を拝む事になるので、古くから、此すぢ[#「すぢ」に傍線]と、すぢのつく人[#「すぢのつく人」に傍線]との間に、区別が著しくは立つて居らないのである。畢竟、我国古代の、あきつかみ[#「あきつかみ」に傍線]と言ふ語も、此すぢ[#「すぢ」に傍線]を有つ天子を、すぢ[#「すぢ」に傍線]自身とも観じたのである。即、主がおすぢ[#「おすぢ」に傍線]と同じことになる。但あきつかみ[#「あきつかみ」に傍線]に於ては、其すぢ[#「すぢ」に傍線]が、神に飜訳せらるゝほどに、日本の霊魂信仰が、夙《つと》に変化して居つたことを示して居る。
四 楽土
琉球神道で、浄土としてゐるのは、海の彼方の楽土、儀来河内《ギライカナイ》である。さうして、其処の主宰神の名は、あがるいの[#「あがるいの」に傍線]大神《オホヌシ》といふ。善縄大屋子《ヨクツナウフヤコ》、海亀
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