としない事が多い。近世では、譬喩的に神人を認めるが、古代に於ては、真実に神と認めて居たのである。生き神とか現つ神とか言ふ語は、琉球の巫女の上でこそ、始めて言ふ事が出来る様に見える。即、神人は祭時に於て、神と同格である。
薩摩の大島郡喜界个島では、てんしゃばら[#「てんしゃばら」に傍線](天者の系統)と言ふ家筋がある。昔、此附近へ女神が降りて来た時、村人は尾類《ズリ》(遊女)が降つたと言うて嘲笑した。天女は再び天へ上り、異つた地へ天降つた。此村のある百姓が発見して大切に連れ戻り、天女と結婚して子孫を挙げた。後に此女は高山へ登つたが、其櫛・かもじ等が、洞窟の中に残存して居る。此女の子孫が、天者腹《テンシヤバラ》であると言ふ。此は人間界の話を、神格化した物語である。此様な話は、内地から琉球へかけて非常に沢山ある。研究して行くと、此女は神人であつて、神人が結婚し得ざる時代、神人に男が関係する事の出来ない時代の話に他ならない。
神と人との境の明らかでないことが、前に述べた程甚しいのであるから、神を拝むか、人を拝むか、判然しない場合すらある。のろ殿内[#「のろ殿内」に傍線]に祀るのは、表面は、火の神《カン》であるが、此は単に、宅《ヤカ》つ神としてに過ぎない事は既に述べた。のろ[#「のろ」に傍線]自身は、由来記などに記した程、火の神を大切にはしてゐない。のろ[#「のろ」に傍線]の祀る神は、別にあるのである。
正月には、村中のものがのろ殿内[#「のろ殿内」に傍線]を拝みに行く。最古風な久高《クダカ》島を例にとると、其は確に久高《クダカ》・外間《ホカマ》両のろ[#「のろ」に傍線]の火の神を拝むのではない。拝まれる神は、のろ[#「のろ」に傍線]自身であつて、天井に張つた赤い凉傘《リヤンサン》といふ天蓋の下に坐つて、村人の拝をうける。凉傘は神あふり[#「神あふり」に傍線]の折に、御嶽《オタケ》に神と共に降ると考へてゐるのであるから、とりも直さずのろ[#「のろ」に傍線]自身が神であつて、神の代理或は、神の象徴などゝは考へられない。併し、神に扮してゐるのは事実であつて、其が火の神ではなく、太陽神《チダガナシ》若しくは、にれえ神[#「にれえ神」に傍線]と考へられてゐる様である。外間《ホカマ》のろ[#「のろ」に傍線]の殿内には、火の神さへ見当らなかつた位である。外間のろ[#「外間のろ」に傍線]或
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