には、幾種類もの香炉がある。八重山のいび[#「いび」に傍線]と言ふ語は、香炉の事であると思ふが、先輩の意見は各異つて居る。
八重山には、御嶽に三つの神がある。又、かみなおたけ[#「かみなおたけ」に傍線]・おんいべおたけ[#「おんいべおたけ」に傍線]と言ふのがある。八重山のみ、いび[#「いび」に傍線]又はいべ[#「いべ」に傍線]と言ふ事を言ふが、他所のいび[#「いび」に傍線]とうぶ[#「うぶ」に傍線]とは異つて居る。うぶ[#「うぶ」に傍線]は、奥の事である。沖縄では、奥武と書いて居る。どれがいび[#「いび」に傍線]であるか、厳格に示す事は出来ないが、うぶ[#「うぶ」に傍線]の中の神々しい神の来臨する場所と言ふ意味であると思ふ。八重山の老人の話では、御嶽のうぶ[#「うぶ」に傍線]ではなくて、門にある香炉であると言つて居る。即、香炉を神と信ずる結果、香炉自体をいび[#「いび」に傍線]と言ふのである。処が火の神にも香炉がある。中には香炉だけの神もあるが、要するに自然的に香炉を神と信じて居る。其香炉が、又幾つにも分れる。香炉が分れるけれども、分れたとは言はないで、彼方の神を持つて来たと言ふ、言ひ方をする。つまり、嫁に行つたり、比較的長い間家を出て居るものは、香炉を作つて持つて行く。尾類《ズリ》(遊女)は、此例によつて、香炉を各自持参するのである。
沖縄には、遥拝所がある。三平《ミヒラ》の大阿母《ウフアム》しられ[#「しられ」に傍線]の殿内《ドンチ》即、南風《ハエ》の平《ヒラ》には首里殿内《シユンドンチ》、真和志の比等《ヒラ》には真壁殿内《マカンドンチ》、北《ニシ》の比等《ヒラ》には儀保殿内《ギボドンチ》なる巫女の住宅なる社殿を据ゑ、神々のおとほし[#「おとほし」に傍線]として祀つてある。即、遠方より香炉を据ゑて、本国の神を遥拝するのである。此遥拝する事から、色々の問題が出て来る。例へば、祝《ノロ》の家にも香炉があり、御嶽にも香炉がある。のろ[#「のろ」に傍線]は、家の香炉に線香を立てゝ御嶽に行く。時によると、香炉を中心にして社を造る事がある。沖縄の辺でも、久高島を遥拝する為に、べんが御嶽[#「べんが御嶽」に傍線]を作つて居り、八重山の中でも、よなぎ島[#「よなぎ島」に傍線]より来た人々は、よなぎおほん[#「よなぎおほん」に傍線]を作り、宮良村では、小浜村より渡来したのであるか
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