#「おしゅまい」に傍線])・老婆の神あつぱあ[#「あつぱあ」に傍線]に連れられて来る亡者の群もある。此等は皆、同一系統のもので、後生《グシヨ》から来ると言ふ。後生《グシヨ》は、地方に依つては墓の意味に用ゐられてゐる。まやの神[#「まやの神」に傍線]は、何処から来るか、訣らない。まや[#「まや」に傍線]には猫の義があるが、此処ではそれではないらしく、土地の名であらう。此信仰は台湾に亘つて、阿里山蕃族が、ばく/″\わかあ山[#「ばく/″\わかあ山」に傍線]或はばく/″\やま[#「ばく/″\やま」に傍線]から出て、分れて一つはまやの国[#「まやの国」に傍線]へ行つたと言ふ伝説があるから、琉球の南方でも、恐らくまや[#「まや」に傍線]を楽土と観じてゐたのであらう。
なるこ・てるこ[#「なるこ・てるこ」に傍線]は、北方|即《すなはち》道の島風であり、まや[#「まや」に傍線]・いちき[#「いちき」に傍線]は南方、先島《サキジマ》風の呼び名である。而も更に驚くのは、やはり右の渡り神を、場合によつては、あまみ神[#「あまみ神」に傍線]とも言うてゐる事である。あまみ[#「あまみ」に傍線]は、言ふまでもなく、琉球の諾冉二尊とも言ふべきあまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]の名から来てゐるのである。あまみきょ[#「あまみきょ」に傍線]・しねりきょ[#「しねりきょ」に傍線]は、沖縄本島の東海岸、久高《クダカ》・知念《チネン》・玉城《タマグスク》辺に、来りよつたと言ふ事になつてゐるが、其名はやはり、浄土を負うてゐるものと見られる。ぎょ[#「ぎょ」に傍線]・きょう[#「きょう」に傍線]・きゅう[#「きゅう」に傍線]などは、人《チユ》から出た神の接尾語で、あまみ[#「あまみ」に傍線]・しねり[#「しねり」に傍線]が神の国土の名である。其を実在の島に求めて、奄美《アマミ》大島の名称を生んだものであらう。しねり[#「しねり」に傍線]に、儀来(ぎらい・じらい)との関係が見えるばかりか、あまみ[#「あまみ」に傍線]のあま[#「あま」に傍線]には、儀来同様、海なる義が窺はれるのである。
決して合理的な解釈を下す事は出来ない。北方、奄美《アマミ》大島から来た種族が、沖縄の開闢をなしたと考へるのは、神話から孕んだ古人の歴史観を、其儘に襲うた態度である。あまみ[#「あまみ」に
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