れは田之助の継承を無理にもさせられた時とは対踵的《たいしょうてき》に、自分からすすんでしたものだった。四谷怪談のお岩・播州皿屋敷の侍女お菊・「恋闇鵜飼燎」などの怪談物で、菊五郎のした女形を可なり克明にうつして、それには成功している。一体彼は容貌|風采《ふうさい》がいいので、何をしても一通り見られるものになった。
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歌舞妓《かぶき》芝居の役者には一体にそういうところがあるので、今の十五代市村羽左衛門が本道に立派な芸を見せて来たのは、最近になってであるし、それまではただその美しい容貌、きゃしゃな風采だけで持ちこたえて来たのである。今の松本幸四郎なども、ひとえにあの立派な容貌と、堂々たる体躯《たいく》に頼っている。最近故人になった市川左団次も同様である。
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源之助の演技について考えてみると、いつも彼の芸はその場その場のもので、極端にいえば稽古《けいこ》など一向しないで、舞台でしているうちに、その場その場に美しい型がくり出されて行くといった様な迷信を持っていた様である。つまり役を確実に把持しなかったということ、又自分の芸に対する反省の足りなかったこ
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