わけ》なのだ。又その他にも村井長庵だの、加賀鳶の按摩道玄などの、色めいたところの少しもない悪党役は源之助の演じないところであった。つまり気のよい役はしたが、気の悪い役はしなかったので、尤《もっとも》、それには一部分は源之助自身がしようとしても興行師の方がさせなかったというところはあろうけれど、役者として色気があり過ぎたと言えるかも知れない。菊五郎の芸は市川小団次の芸を移しているので、つまり写実的な生世話《きぜわ》な狂言が多いのだが、それを源之助が継承したのである。そして源之助は、自分の柄に合わないものまで随分している。切られの与三郎や清心のようなものを継承するのは、少しも怪しむに足らぬ至極当然なことだが、場合によっては唯菊五郎がしたからするというだけでするような、源之助自身の柄を考えないところの役もずいぶんある。例えば「四千両小判梅葉」の野州無宿の富蔵・「牡丹灯籠」の伴蔵・宇都谷峠の文弥殺しの十兵衛などがそれで、唯菊五郎がやったからやるというだけのことで、もともと源之助の柄にない役である。
源之助が頻《しき》りに立役をしたのは、明治三十六年五代目尾上菊五郎が死んだ年あたりからである。こ
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