った。岩井半四郎などは美しかったというけれども、どの程度だったかについては、多分に疑問が残ると思う。例えば、最近死んだ坂東秀調は美しい女形であったが、その先代の秀調は団菊の相手役をしたくらいの女役だったが、器量は決してよくなく、青い顔をして、真中にくくれがあった。大阪の実川正調も名女形だったが、でぶでぶ肥って融通の利かぬ女形で、いつも三十代の女房、武家女房しか出来ず、東京の秀調よりはまあましであったが、美しくはなかった。今の市川男女蔵の養父で女寅から門之助になった役者、これは出雲から出て上方芝居に入り、更に団十郎によって相当な地位になったが、これもみっともない役者で、どんな芸をしても美しくは見えなかった。こんな連衆が立女形であったので、鴈治郎附きの老女形で居た市川莚女などは顔の造作に異状はないが、まあ綺麗でない。それに体恰好《からだかっこう》も男性的であった。雀右衛門になって死んだもとの芝雀にしても、顔はよくなかったが、役柄に融通が利き、美しく見える瞬間が多かった。これは本来が娘形であったし、常の心がけから、美しく見えることがあったのである。先代の菊次郎も此仲間である。こんな連衆が昔の
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