衛門などで、こういう芝居では古い菊五郎というよりは、年齢では少し先輩であった片岡仁左衛門の影響を何か受けているのではないかと思う。
結局田之助や菊五郎の影響を受けたことが、源之助を運命的に芸質を退転させた。とまれ源之助は、生世話物の調子のよさでは、近頃第一の人であろう。声はわるいが、うらがれ声で芝居道での所謂《いわゆる》よい調子であった。

   二

切られお富の薩※[#「土へん+垂」、第3水準1−15−51]《さった》峠の場の科白《せりふ》に「お家のためなら愛敬捨て、憎まれ口も利かざあなるまい」というのがある。この科白は女形の或特性を表していると思う。
最近私は尾沢良三氏の女形論を読んで、いろいろ得るところが少くなかった。併し私としては、尾沢氏の考えと関係なしに語りたい。女形に美しい女形と美しくない女形とがある。立役・女形を通じて素顔の真に美しい人の出て来たのは、明治以後で、家橘・栄三郎のような美しい役者は今までなかった、と市川新十郎が語っていたくらいである。これは明治代の写真を見ればわかる事で、それには写真技術の拙《つたな》さという事もあろうけれど、一体に素顔のよくない女形が多か
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