は上方で為込《しこ》んで来た芸を演《や》ると非常によく、また正確である。であるから大阪で源之助がもう少し揉《も》まれて来ればよかったと思う。元来時代物をおろそかにして、その時の出たとこ勝負の世話物に専門(?)になったのが弱点であろう。源之助はもっと、時代物を身を入れてやればよかったと思う。大阪うまれが東京へ来て東京らしくなったというが、大阪へ戻って身につけて来た芸が、ぴったり合っていた。太十の操《みさお》をすると、自由にくだける所があるが、輝虎配膳の老女(越路)などの役は非常に苦しんでいる。彼は顔を見ても悪婆という感じはせず、瞳が黒い上に、上品な顔の輪廓《りんかく》を持っている。田之助亡き後に年少の源之助が妲妃のお百をして評判がよかったというほんの一寸したことから、誤って悪婆役者として一生を過したのだと思う。
源之助に就いては、もう一方に立役の話をせねばならぬ。年をとって女形としては衰えても、立役では綺麗《きれい》であった。源之助が立役をするようになったのは、明治二十九年以後のことで、これも大凡《おおよそ》菊五郎の芸を見ていて、それを模倣している。源之助の立役でよかったのは吉田屋の伊左
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