の違ふ、かうしたものを、どうして同じ名で呼んだか、それは、かうした民間伝承があつたからだと思ひます。
かうして段々見て来ますと、今の門松は、此、門神柱の柱が竹に変り、その頭部が削がれたのだと考へてよい様です。竹を二本立てゝ注連をはつた風習は、京の大原にも、武蔵の秩父にもありました。大原のは、その注連縄に農具を吊したと言ひますから、七夕の笹に人形を吊し、聖霊棚に素麺や田畠の成りものを吊すのと似てゐたと言へませう。
底本:「花の名随筆1 一月の花」作品社
1998(平成10)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「折口信夫全集 第十七巻」中央公論社
1956(昭和31)年9月初版発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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