りものを約束して行くのが大切な行事だつたので、その為には、今も正月の神事として残つてゐる田遊び・お田植ゑの様な所作も見せていつたのですが、また山から下りて来る時に突いて来た杖を立てゝ行つて、それに根がつくのが非常に善い兆だとしたのです。だからそれには、根のつき易い、いろ/\な木が立てられて行つた訣です。これが松に固定したのには、訣があつたと思ひます。とにかく、今日の様な門松になつて行つた道筋を考へて見ませう。
私は、此数年間、毎年正月になると、三河・遠江・信濃の国境に近い奥山家へ、初春の行事を採訪に出かけましたが、こゝの門松は、また形が違つてゐるのです。門神柱、或は男木などゝと言はれる、栗・楢などの柱が二本立てられ、これに注連をはり、その下に松が立てられるので、その松の枝には、やす[#「やす」に傍線]と言ふ、藁で作つた、つと[#「つと」に傍線]を半分にした様なものが掛けられ、その中には、餅・粢《シトギ》などが入れられるのです。此形は、盆の聖霊棚に非常に近いと思はれます。
日本には、魂迎へをする時期が、盆と暮と二度あつた事は、徒然草四季の段を見ても訣る事ですが、此は、元来は初春だけのものだつたのです。それが二度になつて、一方は仏教との習合によつて非常に盛んになり、初春の方は、正月の行事が行はれた為に魂祭りとしての信仰は、却つて忘れてしまうたのです。しかし、此魂祭りなるものが、古い時代のは、今の仏教式のものではなく、暮・初春に、山から――もつと古くは海の彼方から――来訪すると信じた祖先神を祀る事だつたので、さうした神を迎へる祭壇が、即、たな[#「たな」に傍線]或はくら[#「くら」に傍線]だつたのです。七夕も、後には支那の乞巧尊信仰がとり入れられて星祭りになつてしまひましたが、此語に印象されてゐる日本本来のものは、さうした遠来の神を迎へるべく、をとめ[#「をとめ」に傍線]が海岸に棚を作つて、神の斎衣を作る為の機を織りながら待つてゐたので、此がたなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]でした。門松が、やはりさうした神を迎へる為の棚であつたといふ記憶を、かすかながらでも残してゐるのが、此三・信・遠国境の山村で見た門神柱です。普通の家では、此門神柱を二本しか立てませんが、家によると十数本も立てるのがあります。その意味は、もう忘れられてしまうてゐるのですが、老人達の話しを綜合して考
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