へますと、それは、本家が、分家の数だけの柱を立てるらしいのです。盆や正月に、子方が親方の家へおめでたう[#「おめでたう」に傍線]を言ひに行く慣例は最近までありました。柱を分家の数だけ立てるのは、此記憶が底にあつたからでせう。処で、此柱を十数本立てた形は、恰も、とり入れた稲を乾すはざ[#「はざ」に傍線]と同じ形なので、事実この門神柱の事も、はざ[#「はざ」に傍線]と言うてゐるのです。さうして見ると、此二つは、偶然似てゐるだけではなく、稲を乾すはざ[#「はざ」に傍線]も、元は実用の為に作つたものではなく、やはり田の神を迎へる為の棚であつた事が考へられるのであります。
かやうに、此地方の門松は、柱が主体で、松は客体と見られるのですが、而も、此十数本も立てた柱の下にも、一々松を立てるのは、如何にも意味のある事だと思はれます。即、此松を添へると、山から迎へて来た霊が、その柱に宿ると考へた遠い昔の人の信仰が、如実に想像出来るではありませんか。今でも、此松を山から伐り出す事を、伐るとは言はないでおろす[#「おろす」に傍線]と言うてゐますが、古くは、はやす[#「はやす」に傍線]と言ひました。松ばやし[#「ばやし」に傍線]がそれです。はやす[#「はやす」に傍線]は、はなす[#「はなす」に傍線]・はがす[#「はがす」に傍線]などゝ一類の語で、ふゆ[#「ふゆ」に傍線]・ふやす[#「ふやす」に傍線]と同じく、霊魂の分裂を意味した語なのです。だから、松を迎へる事は、分霊を迎へる事で、松は即、その霊ののりものだつたのです。
次に、此松の枝にやす[#「やす」に傍線]をかける訣ですが、昔の人は、かうして迎へて来た霊、或はやつて来た霊には必、不純なものが随伴すると考へたのです。盆にも、正式に迎へる聖霊への供物の外に、無縁仏の供物を作りますが、それと同じ様に、歳神様にも、家へ這入つて貰つては困る神が附隨して来るので、それを防ぐべく、此やす[#「やす」に傍線]をかけて供物をするのです。
とにかく、こゝの門松には、古い信仰が残つてゐるのです。此門神様の周囲に、鬼木或はにう木[#「にう木」に傍線]と言うてゐる、薪に十二月或は十三月と書くか、十二本或は十三本の筋をひくかしたもの(元は、閏年だけ十三月としたのですが、後には、今年も此様に月が多いと祝ふ意味で、平年にも十三月と書く様になつたのです)を並べ、又たくさ
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