ら言ひますと、樒は仏前のものになつてをりますから、それを門松の代りに立てるのは如何にもをかしいと思ひますが、昔は、榊が幾種もあつたので、樒も、榊の一種だつたのです。
それなら、何故榊を立てるかゞ問題になるのですが、かうした信仰は、時代によつて幾らも変つてをりますから、一概に言ふ事は出来ませんが、正月の神を迎へる招《テ》ぎ代《シロ》であつたかとも見られます。さういふ考へも成り立たなくはないのです。しかしこゝには、まう少し正月に即した考へを立てゝ見ませう。
日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、神と人との間のものがあると信じた時代がありました。これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、更に古くは、祖先神が来ると信じたのです。歳神様は、三日の晩に尉と姥の姿で、お帰りになると言ふ信仰には、此考妣二位の神来訪の印象が伝承されてゐる様です。しかし此話しは、既に度々してをりますので、こゝには省略したいと思ひます。
とにかく、此信仰には、現実との結びつきがありました。さうした山の神に仕へる神人《ジンニン》があつて、暮・初春には、里へ祝福に降りて来たので、その時には、いろ/\な土産ものを持つて来て、里のものと交易して行つたのです。此交易をした場所を、いち[#「いち」に傍線]と言ひました。後の「市」の古義なのです。山人・山姥が市日に来て、大食をした話し、無限に這入る小袋にものを詰めて行つたと言ふ伝説は、さうした、山人が里のものをたくさんに持ち還つた記憶があつて出来た話しだと思ひます。山人が持つて来た土産には、寄生木《ホヨ》・羊歯の葉、その他いろ/\なものがあつたので、今も正月の飾りものになつてゐますが、削りかけ・削り花なども、その一種だつたのです。太宰府その他で行はれる鷽替への神事は、その交易の形を残したのでせう。鷽も、削りかけの一種と見られるからです。里の人達は、これらのものを山人から受けて、これを、山人の祓ひをうけたしるし[#「しるし」に傍線]として家の内外に飾つたのでした。
これから考へて見ますと、門松も、やはり山人のもつて来た山づと[#「山づと」に傍線]の一種であつたに相違ないのですが、其木は必しも一種ではなかつたかと思ひます。それには、かう言ふ事が考へられるのです。此山人の祝福には、その年の田の成
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