葉ぶりの力の藝術を、都會人が望むのは、最初から苦しみなのであります。けれども、絶對に否定してしまふことも、出來ないだらうと思ひます。
日本では眞の意味の都會生活が初つて、まだ幾代も經てゐません。都會獨自の習慣・信仰・文明を見ることが出來ない、といふことは、かなりた易く、斷言が出來ます。そこに根ざしの深い都會的文藝の、出來よう訣がありません。日本人ももつと、都會生活に慣れて來たなら、郷土(郷土の譯語を創めた郷土研究派の用語例に據る)藝術に拮抗することの出來る、文藝も生れることになるでせう。まづ、それまでは氣長く待ち、而も、その發生開展を妨げない樣に、するだけの覺悟は必要です。都會人なるわたしどもはかういふ方向に、力の藝術を掴まねばならない、といふ氣がします。
こゝに、大阪と東京との比較が、必要になつてきました。三代住めば江戸つ子だ、といふ東京、家元制度の今尚嚴重に行はれてゐる東京、趣味の洗練を誇る、すゐ[#「すゐ」に傍点]の東京と、二代目・三代目に家が絶えて、中心は常に移動する大阪、固定した家は、同時に滅亡して、新來の田舍人が、新しく家を興す爲に、恒に新興の氣分を持つてゐる大阪、その爲に
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