巻末の体裁に、長皇子が、書いたらしい様子を見せてゐるから、奈良朝の初期に成書となつて居たものと見られる。恐らく右の皇子の編纂であらう。さうして奈良前の物を、大歌の本格と見てゐた事が察せられる。
此二巻にとりわけ明らかな事実で、万葉集全体に亘るものは、歌と鎮魂法との関係である。鎮魂歌は、舞踊を伴ふ歌詠で、正式にはふり[#「ふり」に傍線]と言ふべきであるが、宮廷伝来の詞曲には、うた[#「うた」に傍線]と称へてゐる。此巻々の雑歌・相聞・挽歌は皆、明らかに其手段として、謡はれたものなることが見えてゐる。此意味に於て、此二巻は、宮廷人の信仰生活を、鮮やかに見せてゐる。
三・四・六の巻は、古今集の前型とも言ふべき、古風・近代様を交へ録したもので、此が、私人或は、其一族の歌集にも、其伝来正しく、最重々しい編輯法とせられてゐたのではないか。して見れば、此は、大伴氏長の家の集であり、大伴古今和歌集とも言ふべきものであらう。さうして出来た目的は、年頭朝賀の寿詞奏上同様、氏族の歌に含まれた鎮魂的効果を聖躬に及ぼさうとしたのではあるまいか。だから、三・四・六は、大伴氏に流用した宮廷詩の「大歌」古曲及び、現代の
前へ
次へ
全67ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング