・後崗本宮に通じて、中皇命とあるのは、誤伝ではない。御妃《ミメ》の中、他氏他郷の大身の女子なる高級巫女の、結婚した他郷の君の為に、自家の神の威力と示教とを、夫に授けて其国を治めさせる様になつたのが、きさき[#「きさき」に傍線]の古い用語例に入るものらしい。
此に后の字を宛てゝ、古風を没却する事になり、王氏・他氏の女に通じて、きさき[#「きさき」に傍線]或は中宮など言ふ習はしを作つた。古代は、中皇命は王氏の出、きさき[#「きさき」に傍線]は他氏の女子、君の御禊を掌る聖職を以て奉仕したものらしい。常寧殿の后町[#(ノ)]井や、御湯殿の下から出たと言ふ蚶気絵《サキヱ》と言ふ笙《しやう》の伝説などを考へ併せると、愈きさき[#「きさき」に傍線]と御禊との関係が考へられる(民俗学篇第一冊「水の女」参照)。
かうした為来りが、后妃の歌に、水に関する作を多く作り出したと見える。万葉で見ても、巻二の天武天皇・藤原夫人の相聞、天智天皇大喪の時の后・妃・嬪等の歌、又持統八年最勝会の夜の歌など、かうした方面からも見るべきであらう。此が記・紀になると、すせり[#「すせり」に傍線]媛・とよたま[#「とよたま」に傍
前へ
次へ
全67ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング