の資格で居られたのである。さうして見ると、唯男君から男君への、中つぎのすめらみこと[#「すめらみこと」に傍線]と言ふ事は出来ない。此古風が後々まで印象して、平安初期以後長く行はれた「中宮」の尊称の因を開いたのである。さうして、其神事をとり行はれた処が、「中宮院」の名を留めたのである。
中皇命を中皇女とあるのは、誤りではなからう。鏡王女とある――額田女王ではない。其姉の方と見るべきである――のと、同じ記入例である。中[#(ツ)]皇(=たかつすめらみこと)鏡王(=かゞみのおほきみ)など書くと、男帝・男王とまちがへられるからの註で、特別に女性の義を表す字をつけぬ書き方が多かつた為である。額田女王を、万葉に専ら額田王と書くのは、名高くて、男王と誤解する気づかひがなかつたからなのも反証である。
君・女君相双うて「何々宮御宇天皇」の資格があられたのだ。其故、君なき後も、其資格は失せない。御|双方《カタ/\》の中皇命の身に残るのであつた。崗本宮御宇天皇は、舒明・皇極両皇を指すのである。皇極朝を後崗本宮御宇としたのは、後代の考へ方である。さうして、男君|在《いま》さぬ後も、中皇命として居られた。崗本宮
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