の誤解せられる様なものが多い。とにもかくにも平安の女房文学の中から、歌は放しては考へられない。前代の風俗《フリ》・歌《ウタ》を中心に綴つた説話記録が、歌物語となり、自分の身辺の応酬を記した部分が日記歌として行はれるやうになり、其が更に単独な物語や、家集・日記・世代歴史《ヨツギモノガタリ》を生む様になつた。時世が移つて、女房の教養が浅くなると、女歌は固より、すべての女房文学は、隠者階級の手に移つて了ふ。平安朝末のあり様である。此間の「女」の時代は実は、奈良以前からの、長い宮廷巫女生活の成果である。
妹の魂結び
家々の成女戒を経た女たちは、巫女である。其故、呪術を行ふ力を持つてゐた。愛人や、夫の遠行には、家族の守護霊でもあり、自身の内在魂でもあるもの[#「もの」に傍点]を分割して与へる。男の衣装の中に、秘密の結び方のたまの緒[#「たまの緒」に傍線]で結び籠めて置く。さうして、旅中の守りとした。後には、女の身にも男の魂を結びとめて置く様になつたのだ。
此緒は、解くと相手の身に変事が起るのである。だから互に、物忌みを守つて居ねばならぬ。其たまの緒[#「たまの緒」に傍線]に限らず、霊物の逸出を禦《ふせ》ぐ為に結び下げて置くものを、ひも[#「ひも」に傍線]と言ふ。此は外物の犯さぬ様に、示威するものらしい。紐は、身にとり周らさずともよい。懸けるかつけるかしてあればよい。此変化したのが、いれひも[#「いれひも」に傍線]であり、したひも[#「したひも」に傍線]なのである。こまにしき[#「こまにしき」に傍線]・からにしき[#「からにしき」に傍線]など、紐の枕詞に近い誇称は、悪を却ける為の、讃辞であつたらしい。必しも、ひも[#「ひも」に傍線]の古義には、下|佩《オ》びを直に指す処はない。
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難波津に御船|泊《ハ》てぬと聞え来ば、ひもときさけて、立ちはしりせむ(巻五)
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とある憶良の歌は、恋人を待ち得た性の焦燥を言ふのではない。此は、長者の霊の游離を防ぐために、男もすることになつてゐたのだ。
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こま錦 ひもとき易之《カハシ》 天人《アメヒト》の妻どふ宵ぞ。我も偲《シヌ》ばむ(巻十)
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の歌なども、直に閨《ねや》ごとの予期を言うてゐるのではない。
易之は「かへし」と訓むべきなのかも知れぬ。遠く別れて居た者の、我が土地――難波津は、大和の国の内と観じたのだ――家に還り来ると、物忌みは解除せられるのだ。其双方の身にぢかにつく下袴・裳などにした物が、ふもだし[#「ふもだし」に傍線]の禁欲衣などにもつく処から一つに考へられて行つたのだ。だから必しも、紐が下佩びは勿論、貞操帯の意義でもなかつたのである。記・紀から見えるひも[#「ひも」に傍線]の信仰は、もつと広いものであつた。妻・愛人の結《ユハ》ひつけた守護霊の籠められた紐の緒が、ついて居る以上、此に憚る風も生じたのである。下袴の紐をさう言ふ欲望の物忌みの標とする考へが行はれてゐた訣ではない様だ。
かう言ふ訣で、旅行者の歌には、妻の魂の逸出せぬ様にとの考へで、此ひも[#「ひも」に傍線]を問題にするものが多かつたのだ。其が、妻を偲ぶ歌心を展開して来たのである。又同時に、郷家の寝床に、我が魂の一部は、分離して留るものと信じてゐた。其為に家や床や枕を言ふ風が出来て居た。
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たま藻刈る 澳べは漕がじ。しきたへの枕のあたり 忘れかねつも(巻一)
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此宇合の歌なども、今日は頻《しきり》に家の我が枕のある床の様子が、目に浮んで思ひ去りにくい。かう言ふ時は、凶事があるものだと、舟行を恐れてゐるのである。
魂はやす行事
東国では、旅行者の魂を木の枝にとり迎へて祀る風があつたらしい。此も妹《いも》のする事だつたらしい。此をはやし[#「はやし」に傍線]と言ふ。
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あらたまの塞側《キベ》のはやしに、汝《ナ》を立てゝ、行きかつましゞ。いもを さきだたね(巻十四)
上[#(ツ)]毛野さぬ[#「さぬ」に傍点]のくゝたち折りはやし、我は待たむゑ。言《コト》し来《コ》ずとも(巻十四)
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きべ[#「きべ」に傍線]は、村の外囲ひの柵塁の類である。あらたま[#「あらたま」に傍線]は枕詞。遠江|麁玉《あらたま》郡辺で流行した為に、地名を枕詞にして「き」を起したのだ。きべ[#「きべ」に傍線]は地名説はわるい。村境で、魂はやし[#「魂はやし」に傍線]の式を行ふのである。木を伐つて、此に魂を移すからはやし[#「はやし」に傍線]である。処が、此はやす[#「はやす」に傍線]には、分霊を殖《フヤ》し、分裂させる義があるのだ。「旅出の別れの式に、妹よ。
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