万葉集研究
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)続《シヨク》万葉集

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大江|維時《コレトキ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)歌※[#「にんべん+舞」、第4水準2−3−4]所

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)野中[#(ノ)]川原[#(ノ)]史満

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)何れも/\
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     一 万葉詞章と踏歌章曲と

万葉集の名は、平安朝の初め頃に固定したものと見てよいと思ふ。この書物自身が、其頃に出来てゐる。此集に絡んだ、第一の資料は古今集の仮名・真名両序文である。これを信じれば、新京の御二代平城天皇の時に出来た事になるのである。従つて此集の名も、大体此前後久しからぬ間に、纏つたものと見てよさゝうである。
詩句と歌詞とを並べた新撰万葉集や、古今集の前名を「続《シヨク》万葉集」と言つた事実や、所謂《いはゆる》古万葉集の名義との間に、何の関係も考へずにすまして来てゐる。茲《ここ》に一つの捜りを入れて見たい。新撰万葉集は、言ふ迄もなく、倭漢朗詠集の前型である。其編纂の目的も、ほゞ察せられるのである。此と、古今集とを比べて見ると、似てゐる点は、歌の上だけではあるが、季節の推移に興を寄せた所に著しい。此と並べて考へられるのは、万葉集の巻八と十とである。等しく景物事象で小分けをして、其属する四季の標目の下に纏め、更に雑歌《ザフノウタ》と相聞《サウモン》と二つ宛に区劃してゐる。分類は細かいが、此を古今集に照しあはせて見ると、後者に四季と恋の部の重んぜられてゐる理由が知れる。私は、続万葉集なる古今は、此型をついだものと信じてゐる。一方新撰万葉集の系統を見ると、公任の倭漢朗詠集よりも古く、応和以前に、大江|維時《コレトキ》の「千載佳句」がある。此系統をたぐれば、更に奈良盛期になつたらしい、万葉人の詩のみを集めたと言つてよい――更に、漢風万葉集と称へてよい――懐風藻などもある。
万葉集と懐風藻と、千載佳句と朗詠集との間にあつた、微妙な関係が、忘れきりになつて居さうでならぬ。懐風藻で見ても、宴遊・賀筵の詩が十中七八を占めてゐる。此意味で、万葉巻八・十なども、宴遊の即事や、当時諷誦の古歌などから出来てゐる、と見る事が出来ると思ふ。其を、四季に分けたのは、四季の肆宴・雅会の際の物であつたからである。而も、雑と相聞とに部類したのは、理由がある。
相聞は、かけあひ歌[#「かけあひ歌」に傍線]である。八・十の歌が必しも皆まで、此から言ふ成因から来たとは断ぜられまいが、尠くとも起原はかうである。宮廷・豪家の宴遊の崩れなる肆宴には、旧来の習慣として、男女|方人《カタウド》を分けての唱和があつた。さうして乱酔舞踏に終るのであつた。さう言ふ事情から、宴歌と言へば、相聞発想を条件としたのである。古風に謂ふと、儀式の後に直会《ナホラヒ》があり、此時には、伝統ある厳粛な歌を謡うて、正儀の意のある所を平俗に説明し、不足を補ふことを主眼とした。此際の歌詠が、古典以外に、即興の替へ唱歌を以てせられたのが、雑歌である。
其が更に、宴座のうたげ[#「うたげ」に傍線]となると、舞姫其他の列座の女との当座応酬のかけあひ[#「かけあひ」に傍線]となる。古代に溯るほど、かうした淵酔行事は、度数が尠くなる。恐らく厳冬の極つて、春廻る夜の行事に限られたのであらうが、飛鳥朝から、次第に其回数を増し、宴遊を以て宮廷の文化行事の一つと考へる様になつて、宴遊・行幸・賀筵が行はれた。
直会には、主上及び家長の寿の讃美を、矚目の風物に寄せて陳べる類型的な歌を生み出す。茲に、四季の譬喩歌が出来るのである。其が次第に、唯朗らかであれば、事足ると言ふ祝言の気分から、叙景詩に近く変じて行つた。宴座のうたげ[#「うたげ」に傍線]になると、さうした正述心緒・寄物陳思の方法が、恣《ほしいまま》に表現せられて来る。かうして四季相聞は出来る。
巻十は、かうした謡ひ棄てられた宴歌の類聚であつて、更に他の機会の応用に役立てようとしたのであらう。巻八の方は、其が宮廷並びに豪家の穏座・宴座の間に発せられた、当時著名なものゝ記録で、大伴家持の手記を経たものらしい。
此等の歌は、表面にこそ、祝福の意の見えないのもある。併し元来、主上・家長の健康と、宮室の不退転を呪する用途を持つてゐるものであつた。恰《あたか》も踏歌の章曲が次第に、後世断篇化して朗詠となつて、祝賀の文を失うても、尚さうした本義は失はなかつた様に、四季雑歌・相聞は、千秋万歳の目的で謡はれたのだ。
其最古い形は、上
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