式に用ゐられた伝来の歌詞及び、民間から採用せられた詞曲は、すべて此にこもる。
二 万葉集の大歌
記・紀に見えた大歌――歌・振《フリ》をこめて――と、万葉の一・二に残つた宮廷詩との差異は、下の二つである。彼は、呪詞・叙事詩――物語――から游離又は、脱落したものが、其母胎なる詞章の裏書きによつて呪力を持つてゐ、此は、其原曲から独立した様式といふ意識の上に立つてゐる事である。伝来の大歌の改作・替へ歌でなくとも、威力は自由に詞章の上に寓るものと考へた事である。尤、古物語を背景に持つたものもあるが、尠くとも其を引き放して考へることが出来たのである。
仁徳朝・雄略朝などの伝説ある歌も載せてゐるが、大体に於て、飛鳥末、即《すなはち》舒明・皇極朝頃からの記録である。此時代は、大歌の転機であつた。日本紀や万葉自身を見ても、宮廷詞人――秦大蔵造万里・野中川原史満・間人連老――らしいものが出かけてゐる。代作詞人の作物が宮廷詩として行はれたものゝ記録を採用したらしい。而も、一・二を通じて、其序と歌との間に、半数以上境遇・地理・時代・作者の矛盾や錯誤を指摘出来る。後世の書き留めな事は明らかだ。が、巻末の体裁に、長皇子が、書いたらしい様子を見せてゐるから、奈良朝の初期に成書となつて居たものと見られる。恐らく右の皇子の編纂であらう。さうして奈良前の物を、大歌の本格と見てゐた事が察せられる。
此二巻にとりわけ明らかな事実で、万葉集全体に亘るものは、歌と鎮魂法との関係である。鎮魂歌は、舞踊を伴ふ歌詠で、正式にはふり[#「ふり」に傍線]と言ふべきであるが、宮廷伝来の詞曲には、うた[#「うた」に傍線]と称へてゐる。此巻々の雑歌・相聞・挽歌は皆、明らかに其手段として、謡はれたものなることが見えてゐる。此意味に於て、此二巻は、宮廷人の信仰生活を、鮮やかに見せてゐる。
三・四・六の巻は、古今集の前型とも言ふべき、古風・近代様を交へ録したもので、此が、私人或は、其一族の歌集にも、其伝来正しく、最重々しい編輯法とせられてゐたのではないか。して見れば、此は、大伴氏長の家の集であり、大伴古今和歌集とも言ふべきものであらう。さうして出来た目的は、年頭朝賀の寿詞奏上同様、氏族の歌に含まれた鎮魂的効果を聖躬に及ぼさうとしたのではあるまいか。だから、三・四・六は、大伴氏に流用した宮廷詩の「大歌」古曲及び、現代の
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