傍線]・せぢ[#「せぢ」に傍線]・しぢ[#「しぢ」に傍線]など言ふ古語は、国君の義ともなつた。其が、名詞化の語尾aを採ると、すぢゃあ[#「すぢゃあ」に傍線]として、人間の義となる。神事の第一人から転じて、すべての神人に及んだのである。
わが古代のひと[#「ひと」に傍線]も其で、神人の長なる君からの延長である。此ひと[#「ひと」に傍線]の内に、性によつて区別があつた。こ[#「こ」に傍線]は男性であり、め[#「め」に傍線]は女性であつた。此は、き[#「き」に傍線]とみ[#「み」に傍線]との対立と同様であらう。君は、常に威霊を受けて復活する。さう言ふ信仰から、前代の君は、後継の君と毫も変らぬ同一人であつた。此思想は、天照大神に対して、御歴代の神及び君が、すめみま[#「すめみま」に傍線]だ――第二義の――とせられてゐるのにも現れてゐる。此が最合理的に、将又《はたまた》神学化した表現は、日並知皇子尊の殯宮の時の歌(人麻呂)にある。
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天地のはじめの時の(山田孝雄氏説)……神はかり はかりし時に、天照らすひるめ[#「ひるめ」に傍線]の命、天をばしろしめすと、あしはらのみづほの国を、天地の国よりあひのきはみ、しろしめす神の命と、天ぐもの八重かきわけて、神《カム》くだりいませまつりし、高ひかる日の皇子は、飛鳥《アスカ》の浄見《キヨミ》原に、神《カム》ながらふとしきまして、聖祖《スメロギ》のしきます国と、天の原岩門を開き、神《カム》あがり、あがり往《イ》ましぬ。(こゝまでは、天武天皇の御事)
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天武は、大神の直系として扱はれてゐる。天地のはじめの時の、第一のみこともち[#「みこともち」に傍線]なる君も、信仰上には区別のないわけだ。
此が下々にも及んでゐる。国の組織が出来てからは、大倭国内の豪族は、皆|大身《オミ》を意味する敬称を以て、君から遇せられた。さうした人々の間にも普通になり、大倭宮廷の諸部民なるかきべ[#「かきべ」に傍線]、大身の部民なるともべ[#「ともべ」に傍線]にも、一貫して行はれた。邑国の神事を行ふ人々は、をとこ[#「をとこ」に傍線]であり、之に対して奉仕する巫女はをとめ[#「をとめ」に傍線]と称せられた。

       をとめ・をとこ

をとめ[#「をとめ」に傍線]・をとこ[#「をとこ」に傍線]には、万葉では未通女・壮夫
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