傍線]なる威霊とは、常に放しては考へられないものであつた。此外来魂の名が、最古く「ひ」であつた。其がすべての霊的のもの[#「もの」に傍線]の上に拡つて行つた後、分化した。原形は「日《ヒ》」となり、変形したものに、直日・禍津日・つくよみ・山つみ・海《ワタ》つみなどのひ[#「ひ」に傍線]・み[#「み」に傍線]となつて、かみ[#「かみ」に傍線]に歩みよる筋路を作つた。此ひ[#「ひ」に傍線]を躬に触《フ》らしめ得た方が、ひのみこ[#「ひのみこ」に傍線]であつた。此ひ[#「ひ」に傍線]を継承せられるのが、大倭の君であつた。
他の邑君・村酋の中にも、此信仰は、ある部分共通し、又次第に感染して行つた。かうした場合、此をよ[#「よ」に傍線]と称へた。後にひ[#「ひ」に傍線]が固定すると、よ[#「よ」に傍線]が代用せられ、更によ[#「よ」に傍線]の意義が、よ[#「よ」に傍線]の截り替への時期を意味する様になつて、一生一代の義になつた。でも、荒世昭《アラヨノミフ》・和世昭《ニゴヨノミフ》など言ふ用例を見ると、よ[#「よ」に傍線]には魂の義が熟語として残つてゐたのだ。さうすると、身を意味するみ[#「み」に傍線]と言ふ語も、生民を意味するひと[#「ひと」に傍線]といふ語も、等しく威力を寓した肉体をさすものである。
我々の万葉びとの生活を書いた本旨は、民人の生活は邑々の酋君の生活の拡張であり、日のみ子[#「日のみ子」に傍線]の信仰行事の、一般化であると言ふ事である。ひと[#「ひと」に傍線]は確かに、ある選民《センミン》である。「と」の原義は、不明だが、記・紀を見ても、神と人との間のものゝ名に、常に使はれてゐる。此ひと[#「ひと」に傍線]の義が、転化して国邑の神事に与る実行的な神人の義になつた。神意をみこともち[#「みこともち」に傍線]て、天の直下の世界――天の下――に出現せられた君の為に、其|伴人《トモビト》として働くものが、ひと[#「ひと」に傍線]だつたのである。だから近代まで、村人は、必ひと[#「ひと」に傍線]とならねばならなかつた。
青人草・天のますひと[#「天のますひと」に傍線]の伝承は、記・紀以前語部の合理化を経てゐる。が、とかく「ひと」と言ふ観念に入るものは、神事に奉仕する為に、出現するものゝ義に過ぎなかつた。沖縄語は偶然、此を傍証してゐる。神よりも霊を意味するすぢ[#「すぢ」に
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