法では、鵠《クヾヒ》が用ゐられた。蘇我氏の雁によるのと相対してゐる。国造の代替りに、二年続けて「神賀詞《カムヨゴト》」奏上の為に参朝した。其貢物は皆国造家の「ことほぎ」料《シロ》であるが、其中、白鵠《シラトリ》の生御調《イケミツギ》は、殊に重要な呪物であつた。鵠の「玩び物」と称へてゐる。此は、鵠に内在する威霊を、聖躬に斎《イハ》ひこめようとするので、其を日常眺めて魂の発散を圧へようと言ふのである。鵠の白鳥も次第に他の白羽の鳥を代用する様になつて来た。鷺などが、其である。
雁がね[#「雁がね」に傍点]・たづ[#「たづ」に傍点]――鵠・鶴・鴻に通じた名――がね[#「がね」に傍点]と特別に、其|鳴《ネ》を注意したのは、其高行く音に聴き入つた処から出たのである。鳴く音の鳥として遂には、之鳴《ガネ》と言ふを接尾語風に扱うて、たづ[#「たづ」に傍点]や雁その物を表す様になつたのであらう。島の宮の水鳥も、古義の玩び物としての用途と漢風の林池の修飾とする文化模倣とが調和して、原義は忘れて行つたものである。其で、歌の上もやはり、さうした時代的合理化が這入つて来て「念ふ鳥」だの遺愛の「放ち鳥」などゝ言ふ風に、表は矛盾なく、形を整へてゐるが、ほぎ歌・鎮護詞《イハヒゴト》・魂ごひ歌などの展開の順序を知つてかゝると、長い年月の変化が語られる。後世人の理会力や、感受性に毫も障らぬ様に整頓せられてゐる、詞章・歌曲の表現法が、思ひもかけぬ発生過程を持つてゐる事に思ひ到るであらう。

       すめみま

記・紀すでにさうした解釈を主として居り、後世の学者又其を信じてゐる所の皇孫即すめみま[#「すめみま」に傍線]とする語原説は、尠くとも神道の歴史の第二次以下の意義しか知らぬものである。続紀《シヨクキ》宣命などを見ても、みま[#「みま」に傍線]は聖躬の義で、宮廷第一人なる御方の御身――即、威霊《マナ》の寓るべき御肉身――の義であつた。其が、宣命の原型からあつた形を二様に分岐して、記・紀に趣く伝承では、新しい合理化によつて、聖孫《アメミウマゴ》の義としたのだ。其一方を継いだ宣命の擬古文では、聖躬《スメミマ》とした。だから、第二人称の敬称みまし[#「みまし」に傍線]は、此と関係のあるものに違ひないと思ふ。
此みま[#「みま」に傍線]或はおほ・みま[#「おほ・みま」に傍線]なる御肉身とまな[#「まな」に
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