る。其薨後、其宮の舎人等の吟じたと思うてよい二十三首の挽歌は――人麻呂の代作らしい――此島の宮と、墓所|檀《マユミ》の岡との間を往来して、仕へる期間も終りに近づいた頃に謡うた鎮魂歌らしいが、島の宮の池の放ち鳥を三首まで詠じてゐる。
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島の宮、上の池なる放ち鳥、荒びな行きそ。君まさずとも
み立《タ》たしの島をも家と棲む鳥も、荒びな行きそ。年かはるまで
塒《トクラ》たて飼ひし雁の子、巣立ちなば、檀《マユミ》の岡に飛び帰り来ね(巻二)
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と鳥に将来の希望を述べてゐる。此は皆、皇子尊の愛玩せられたものだから、其によつて感傷を発したものと言うて了へば、其までゞある。が、天智の崩御の時も「わが大君の念ふ鳥立つ」と、湖水の游鳥を逐ひ立てぬ様に心せよ、と言ふ風な皇后の御歌がある。鳥に寄せて悲しみを陳べた歌は、他にも多い。
此は唯遺愛の鳥だからと言ふやうに見えたが、尚古い形から展開した発想法であつた。鳥殊に水鳥は、霊魂の具象した姿だと信じた事もある。又其運搬者だとも考へられた。而も魂の一時の寓りとも思うて居た。事代主神がしてゐたと言ふ「鳥之遨游《トリノアソビ》」も、ほむちわけ[#「ほむちわけ」に傍線]の鵠《クヾヒ》の声を聞いて、物言はうとしたのも、皆水鳥を以て、鎮魂の呪術に使うた信仰の印象である。やまとたける[#「やまとたける」に傍線]の白鳥――又は八尋白千鳥に化したと言ふのも霊魂の姿と考へた為であつた。鵠《クヾヒ》・鶴・雁・鷺など、古代から近代に亘つて、霊の鳥の種類は多い。殊に鵠と雁とは、寿福の楽土なる常世《トコヨ》国の鳥として著れてゐた。雁は、仁徳帝とたけし・うちの[#「たけし・うちの」に傍線]宿禰の唱和だと言ふ、宮廷詩|本宜《ホギ》歌の主題となつた。雁が卵《コ》を生んだ事を以て、瑞祥と見たのである。島の宮の雁の子と言ふのは、名は雁と称へてゐるが、名だけを然《シカ》呼んだのであらう。恐らく鴨と雁との雑種で、家鴨に近いものではなかつたか。平安朝にも、雁の子を言つてゐる。鴨の卵らしい。島の宮のも、寿を祝《ほ》ぐ為の目的から、伝来どほりの名を負せた代用動物だと定めてよい。
常にも水鳥を飼うて、此を見る事で、魂の安定をさせようとしたのだ。臨時には篤疾・失神・死亡などの際に、魂ごひ[#「魂ごひ」に傍線]の目的物とせられたのである。出雲の国造の呪
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