れぬ。遠く別れて居た者の、我が土地――難波津は、大和の国の内と観じたのだ――家に還り来ると、物忌みは解除せられるのだ。其双方の身にぢかにつく下袴・裳などにした物が、ふもだし[#「ふもだし」に傍線]の禁欲衣などにもつく処から一つに考へられて行つたのだ。だから必しも、紐が下佩びは勿論、貞操帯の意義でもなかつたのである。記・紀から見えるひも[#「ひも」に傍線]の信仰は、もつと広いものであつた。妻・愛人の結《ユハ》ひつけた守護霊の籠められた紐の緒が、ついて居る以上、此に憚る風も生じたのである。下袴の紐をさう言ふ欲望の物忌みの標とする考へが行はれてゐた訣ではない様だ。
かう言ふ訣で、旅行者の歌には、妻の魂の逸出せぬ様にとの考へで、此ひも[#「ひも」に傍線]を問題にするものが多かつたのだ。其が、妻を偲ぶ歌心を展開して来たのである。又同時に、郷家の寝床に、我が魂の一部は、分離して留るものと信じてゐた。其為に家や床や枕を言ふ風が出来て居た。
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たま藻刈る 澳べは漕がじ。しきたへの枕のあたり 忘れかねつも(巻一)
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此宇合の歌なども、今日は頻《しきり》に家の我が枕のある床の様子が、目に浮んで思ひ去りにくい。かう言ふ時は、凶事があるものだと、舟行を恐れてゐるのである。

       魂はやす行事

東国では、旅行者の魂を木の枝にとり迎へて祀る風があつたらしい。此も妹《いも》のする事だつたらしい。此をはやし[#「はやし」に傍線]と言ふ。
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あらたまの塞側《キベ》のはやしに、汝《ナ》を立てゝ、行きかつましゞ。いもを さきだたね(巻十四)
上[#(ツ)]毛野さぬ[#「さぬ」に傍点]のくゝたち折りはやし、我は待たむゑ。言《コト》し来《コ》ずとも(巻十四)
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きべ[#「きべ」に傍線]は、村の外囲ひの柵塁の類である。あらたま[#「あらたま」に傍線]は枕詞。遠江|麁玉《あらたま》郡辺で流行した為に、地名を枕詞にして「き」を起したのだ。きべ[#「きべ」に傍線]は地名説はわるい。村境で、魂はやし[#「魂はやし」に傍線]の式を行ふのである。木を伐つて、此に魂を移すからはやし[#「はやし」に傍線]である。処が、此はやす[#「はやす」に傍線]には、分霊を殖《フヤ》し、分裂させる義があるのだ。「旅出の別れの式に、妹よ。
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