が、即、海人部の物語りの歌、安曇氏の歌である。

     六

ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]は、宗教を持つて歩くと同時に、歌をも持つて歩いた。而して、其が地方人の心を柔げ、歴史観を統一した。流浪して歩く乞食者《ホカヒビト》の力は、国家を組織づけるに大なる力を与えた。而も其が、古い時代の人の心に働いてゐる。併し其よりも、一層大きい事は、恋愛の心持を、人々に起して来た事である。其は真の抒情詩ではないが、抒情味の豊かなものとなつて、地方々々へ伝播された。そして、歌垣の場《ニハ》で作られる民謡に、非常な影響を与へた。物のあはれ[#「物のあはれ」に傍線]は、恋愛によつて始まると言ふ事は、古代人の心持に適切に当る言である。
日本人が作つた恋愛詩は、此民謡から出発するけれども、其は真の恋愛詩ではない。即、多くの人を相手にしたもので、一人の恋人を相手として歌つたものはない。多くの人を相手にした歌、誇張した歌、技巧的な歌である。万葉集に伝る理由の不明と思はれる様な、特殊な部分がある。此は、多数の群集を相手にして、歌つたものである。
かく、戯曲的であり、誇張を持つた歌が、恋愛詩であつた。其らは万葉集の「東歌」によく現れて居る。此がだん/\に変つてほんとうの恋愛詩を生む。日本の恋愛詩は、奈良朝の初めになつて、純抒情詩となつた。人麻呂の恋愛詩にも、誇張がある。其が、劇的になつて、万葉集に現れて居る。万葉集の終りの頃に出て居る歌でも、此事実を見出し得る。
又、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]は、長歌を謡つたばかりではなく、短歌を謡つたと思はれるものがある。中臣《ナカトミ》[#(ノ)]宅守《ヤカモリ》・狭野[#(ノ)]茅上[#(ノ)]郎女の短歌が沢山ある。此歌などは、万葉集では殆ど、終りに近い時代のものであるが、或はほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]の新しく歌つたものではなからうかと思はれる。つまり、抒情詩は、奈良朝の盛んな時代より出来て来るが、純抒情詩の時代は、平安朝へ這入つてからである。奈良朝の抒情詩が、在原業平に系統を引いて、純粋の抒情詩になつた。併し、発生に於て、当座の頓才奇智のものや、男女のかけ合ひ[#「かけ合ひ」に傍線]の歌であるが為に、其影響は後代まで続いた。
一方に於て、此かけ合ひ[#「かけ合ひ」に傍線]の問答が、日本文学に於ける変つた形を生み出した。多くの人がよつて、両方から歌をかけ合せ[#「かけ合せ」に傍線]る。此が貴族の間に行はれると「歌合せ」になる。其系統は、歌垣が宮中へ入つて、踏歌となる。即、男女が歌をかけ合ふ。此が歌合せの原形である。恐らく、「歌合せ」は、巻一の天智天皇の時代、中臣鎌足が審判になつて、春秋の諍《モノアラソヒ》をなしたと伝へられてゐるのが、最初であると思ふ。此審判の時、額田《ヌカタ》[#(ノ)]女王一人が、作つて答へたと見えて居るが、私の考へでは、集つた人皆が作つたが、額田[#(ノ)]女王の歌が、ぬきんでゝ居たと思はれる。
歌合せは、文学発生の歴史より見ると、重大な影響を有つてゐる。此形から変態化したものが、「連歌」である。歌合せの影響よりも、問答の形、即、二人で歌の両方をよみ合せる形、つまり、歌垣のかけ合ひ[#「かけ合ひ」に傍線]の文学化したものが「連歌」である。文学史より見ると、平安の末百六七十年の頃、盛んになつたものであるが、もつと、早い時代にあつたものと思ふ。
此連歌が、上の句と下の句とのみならず、其に五十句・百句を次ぐ様になる。此が古典的に興味を失つて、誹諧が発生する。室町の時代から、発句が独立して来たが、独立した芸術様式と見られるのは、徳川時代になつてから、即、芭蕉になつてからである。
かう考へると、ずつと長い歴史が、源をほゞ一にして、出発して居る。こゝまで述べた歴史の中、誹諧を除けば、皆万葉集によつて、解く事が出来る。其つもりで万葉集を文学的に講義したらと思つてゐるのである。



底本:「折口信夫全集 1」中央公論社
   1995(平成7)年2月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第二部 国文学篇」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月25日発行
初出:「万葉集十回講座講演」
   1926(大正15)年5月
※底本の題名の下に書かれている「大正十五年五月、万葉集十回講座講演」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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