痕跡は今も遺つて居る。節分の夜、厄祓ひが来たり、東北地方では正月十五日の夜、怠け者を懲す為に変なものが来たり、年の暮や年の始めに、鬼の歩くのは、皆昔神の訪れたなごりであるが、今日では、此意味は忘れられて居る。此等は恐らく、只今の国家が始まらぬ前からの信仰が、形式化しつゝ遺物化して遺存して居る、生活上の化石であらう。
かうして来る者は、皆神なのであつた。其が次第に訣らなくなつて、鬼になつたり、乞食になつたりして、其習慣が漸《やうや》く固定した。つまり、遠い処から年に一度村々を訪れる神が、沢山人数を連れてやつて来る。此神々の唱へたことば[#「ことば」に傍線]が、村々にとつて大切なのである。この信仰詞章も、村の生活の複雑になるのに比例した。家を建てたり、酒を造つたり、火を鎮めたりする時は、村人の要求どほりの神が来た。今の厄祓ひが人である様に、実は、昔も人間が仮装して来たのだ。即《すなはち》其期間は、神であると言ふ信仰をもつてやつて来る。
八重山では、初春の植ゑつけなどに、色々の神が来る。或村には鬼、或村には蓑笠を著けた者、或村には盆の時に、祖先が伴を連れて幸福を授けに来る。此訪れる神の唱へる
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