言うたことば[#「ことば」に傍線]、即、託宣であつた。神が現れて、自分の言ひたい事を言うた、其ことば[#「ことば」に傍線]である。神のことば[#「ことば」に傍線]が、何の為に告げられたかと言ふ事を、考へねばならぬ。
神が村々へ時を定めて現れ、あることば[#「ことば」に傍線]を語つて行く。ことば[#「ことば」に傍線]は、恐らく村人の要求通りのことば[#「ことば」に傍線]であつて、而も其が毎年繰り返される。村人の平穏無事で暮せる様に、農作物が豊かである様にと言ふ、お定り言葉を神は言うて行つたのである。託宣の形は遺つて居ないが、思ふに単に神が、実利的のことば[#「ことば」に傍線]を言うて行くのではなく、神現れて、神自身の来歴を告げて去る。そして、村人を脅す家なり村なりの附近に住んで居る低い神、即、土地の精霊と約束して行く。其は、自分はかう言ふ神だぞ。だからお前は自分の言ふ事を聴かねばならぬ、と言ふ意味のことば[#「ことば」に傍線]であつた。約束をした後、神は村を去る。
此が毎年繰り返される。此ことば[#「ことば」に傍線]が村人にとつて非常に大切であつた。村人は是を大切なものとして伝承した。其痕跡は今も遺つて居る。節分の夜、厄祓ひが来たり、東北地方では正月十五日の夜、怠け者を懲す為に変なものが来たり、年の暮や年の始めに、鬼の歩くのは、皆昔神の訪れたなごりであるが、今日では、此意味は忘れられて居る。此等は恐らく、只今の国家が始まらぬ前からの信仰が、形式化しつゝ遺物化して遺存して居る、生活上の化石であらう。
かうして来る者は、皆神なのであつた。其が次第に訣らなくなつて、鬼になつたり、乞食になつたりして、其習慣が漸《やうや》く固定した。つまり、遠い処から年に一度村々を訪れる神が、沢山人数を連れてやつて来る。此神々の唱へたことば[#「ことば」に傍線]が、村々にとつて大切なのである。この信仰詞章も、村の生活の複雑になるのに比例した。家を建てたり、酒を造つたり、火を鎮めたりする時は、村人の要求どほりの神が来た。今の厄祓ひが人である様に、実は、昔も人間が仮装して来たのだ。即《すなはち》其期間は、神であると言ふ信仰をもつてやつて来る。
八重山では、初春の植ゑつけなどに、色々の神が来る。或村には鬼、或村には蓑笠を著けた者、或村には盆の時に、祖先が伴を連れて幸福を授けに来る。此訪れる神の唱へる
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