ら以前の文学史は律文の文学史である。だから、律文の文学史――万葉集の歌の出来た順序に就ての解説は当然、奈良朝までの日本古代の完全な文学史になるのである。
文学であると言ふ以上、永久性がなければならぬ。文学は即座に消えるものではない。処が不都合な事は、昔は文字がなかつた。尠くとも、日本文学の発生当初に於ては、文字は無かつた。文字の無かつた時代の文学は、普通の話と同じ様に口頭の文章によつて伝へられてゐた。つまり今言ふ童謡・民謡の如き文章、而もたゞ、口頭の文章と言うても、人の記憶に止まらぬ文章は永久性がない。永久性のある文は、韻文・律文でなければならぬ。散文の文学が、文字のない時代に永久性をもつて居たと考へるのは間違ひである。
其次に、律文であつても、遺らねばならぬものと、遺る価値の無いものとがある。つまり、其村々・国々の生活の中心になつて居る年中行事として繰り返されるものでなければ、永久性はない。今日に於ても、昔からの宗教の力の遺つて居る言ひ習しや、しきたり[#「しきたり」に傍線]や、信仰がある。今日の生活に関係の無い迷信・俗信がある。吾々は迷信と思つて居りながらも退け得られぬ信仰がある。料《ハカ》り知れない祖《オヤ》々の代から信仰として伝へられ、形式のみ残つて、当代の信仰と合はなくなり、意味のわからなくなつたものが沢山ある。
昔の村――大きな国を知らない時代――の生活を考へると、村の最重大な中心になるものは、神祭りである。祭り以外の事は多くは場合々々になくなつてもよかつた。神祭り以外の事としては、神の信仰に関する事、是等は総て律文で伝へられて居る。失はれない信仰が村々を安全に保たせるものだと信じて居た。此神の信仰に関するものが、後々まで遺つて、文学もこゝに出発点があつた。
即、神々を祀る場合、神に関する信仰を伝へた言葉、一種の文章なり、ことば[#「ことば」に傍線]なりが、永く久しく残つたのである。其中には社会状態・信仰状態の変化に因つて、無意味になつて来たものもあるが、ともかくも、神に関する口頭の文章のみが、永く久しく遺る力を有つて居た。此以前に、文学の興る出発点は考へられない。

     二

神の信仰、神祭りに関することば[#「ことば」に傍線]は、如何にして我国に現れたか。最初に吾々の祖先が、是は伝へなければならぬと思つたことば[#「ことば」に傍線]は、神自身の
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