を作る人はなくなつた。短歌が、此種々の形を、整理して行つた。一方、短歌から、民謡《コウタ》の形もあらはれた。万葉集の東歌は、代表的のものであるが、是も、民謡の形をとつてゐる。
奈良朝には、短歌の形が主となつたので、新作の大歌には、是非附かねばならぬものとなつた。此が「反歌《ハンカ》」である。歌垣の歌は、性欲的のものであるが、世が進むと醇化して、段々と恋愛詩に変つて来る。併しながら、短歌になつては、性欲詩と、恋愛詩の境目をなして居る。
最初の日本の恋愛詩は、純然たるものではなかつた。古い歌は、事実、性欲詩である。歌垣の場《ニハ》で、相手を凌駕しようとする、誇張した性欲に根ざしたものであつた。此が性欲詩より、恋愛詩へ歩む途中に出来た、祭りの場合の即興詩である。処が、此歌垣の詩を作つて居る中に、段々、優れた人が出来て来る。即興的詩才のある人が、詩人としての自覚を発し、世に認められて、其人の歌が世に遺る。結果より見ると、古人の作つた歌が、一種の芸術的に作つたものと思はれるのもあるが、やはり、応用的のものである。其中に醇化されて、ほんとうに、恋愛詩が生れて来る。
純抒情詩には、も一つの流れがある。即、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]の語る大切な詩である。宮廷で長いものを取り抜いてゐると同様に、民間でも、長い詩の中より、一部分を取り抜いて、おもしろい部分のみが、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]によつて歌はれた。そして、田舎の粗野な人間の間に、なつかしい尊い恋愛の情緒を歌はせる様になつて行く。此は、藤原の都より以前から、あり来つた事である。ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]が、田舎の粗野な人々の石の様な心に、油の様な雫《しづく》をたらして行く。其証拠は、万葉集に、よく現れてゐる。巻十三の、藤原の都の頃と思はれる民謡に、宮廷の大歌と同じいと思はれる様なものが、尠くとも二首ある。
身に沁む様な恋物語が、ほかひ人[#「ほかひ人」に傍線]によつて伝へられ、其影響が粗野な村人の心に非常な美しさとして遺されて行つた。此情緒に惹かされて、歌垣の歌が、次第に美しい潤ひを帯びて来た。一例をあげて見ると、南より北へと植民した、安曇氏の一族がある。其が、海人部の民を率ゐてゐる。其安曇氏の移動して行く途に、のこされたに違ひないと思はれる、安曇氏の歌があつて、記・紀の中にも、採られてゐる。「天語り歌」とある
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