本集)或はうたまひのつかさ[#「うたまひのつかさ」に傍線](倭名鈔等)と言うたが、一つ処に両部を備へて居た為に、大歌所の事をも歌舞所で表すことの出来たものらしい。家持等の公卿・殿上人が、こゝに出入して、盛んにわが邦在来の古曲を練習し、物識りの老下官を招いて古歌の伝へを聞いた趣きが見えるから、家持の蒐集した古曲及び大伴集の、大歌所とのある脈絡があつたことは伺はれる。大伴氏分散に際して、これ等が大歌所の台帳と結びつく機会を得た訣である。
大歌と言ふ名は、民謡、童謡を小歌《コウタ》と称したのに対した官家の歌即、宮廷詩と言ふ事になる。形式の長短に関係なく、公・私の区別を大・小で示したものに過ぎぬ。其と共に外国音楽(朝鮮・支那・印度)を雅楽と言ふのに対する名ともなつて居た。両方ともに、舞を持つて居るが、雅楽は器楽が主で、大歌は声楽が大部分である。雅楽が段々盛んになるに連れて、大歌は衰へて来る。平安朝に入ると誠に、微々たるものになつて了うた。併し、日本音楽部として二百五十人からの職員を持つて居た奈良朝の様子(令)は、なか/\侮られなかつた。神祇を中心にした宮廷行事に使ふ音楽としては、神の感情に通じ
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