を通つた物がないとは言へぬが、外に今一つ以上、材料の出し処があつたものと考へられる。
其は、大歌所に昔から使はれて来た大歌と、大歌に採用する目的で蒐めて置いた材料とである。即、古事記・日本紀に見えた外の伝説を持つた由縁ある歌謡、其から時代々々の宮廷詩人が、時々の公事の用に作つた歌曲が既にあつたらうと思はれる大歌所の詞曲台帳に載つて居たはずの物、支那の為政者・音楽者の理想となつて居た民謡に正雅の声があると言ふ考へが、我が国にも這入つて居て、在来の童謡に神道が寓《やど》つて出ると言ふ信仰と一つになつて、国風を蒐め竹枝を拾ふ試みが既に行はれて、東《アヅマ》歌其外地方の民謡などの可なりの分量が、大歌所に集められて居たものと信じてよい。
其上尚一つ、大歌所か、官庫に保存せられて居たと思はれる各種の古歌集・個人の家集の一群が、編纂の際に、随分利用せられたものと思はれる。大体此三種が、大伴氏没落と共に、宮中で一つになる機会に接したわけである。而も、前言した素質を持つた平城天皇の御代であつたとすれば、万葉集は、纏《まとま》らなければならなかつたのである。
万葉集は、此様にしてなつた勅撰集であつたが、や
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