衆又は、一人の為の代作であるから、代作させた者の作物とか、或は無名作家の個性表現の創作とか見られる様になつて来る。
譬へば、柿本[#(ノ)]人麻呂の日並知《ヒナメシ》[#(ノ)]皇子《ミコ》[#(ノ)]尊や、高市《タケチ》[#(ノ)]皇子[#(ノ)]尊を悼んだ歌の如きも、実は個性表現でなく、官人の群衆の為の代作である。其と同じ意味で、人麻呂の泊瀬部皇女・忍壁皇子に献じた歌(巻二)は、悲歎を慰める為に作つたのではない。河島皇子の葬儀の為に、右の皇女・皇子に嘱せられて作つた物と見るべきで、明日香皇女を木《キ》[#(ノ)]上殯《ヘノアキラ》[#(ノ)]宮《ミヤ》にすゑてあつた時に、同人の作つた歌(巻二)と同じ意味で作られたのである。此から見れば、日並知[#(ノ)]皇子[#(ノ)]尊の舎人等の作と伝へて居る廿三首の短歌も、やはり人麻呂の代作と言つてよい。又、藤原宮の役民《エノタミ》の歌・藤原宮御井の歌(巻一)などは、作者知らずになつて居るが、やはり人麻呂に違ひはあるまい。
かうして見れば、人麻呂が日並知・高市二太子に事《つか》へて居たなどゝ言ふ説は、単なる想像に過ぎなかつた事になるのである。人
前へ
次へ
全19ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング