時、貯へて置く所として玉を考へ、又誘ひ出す為の神秘な行事が行はれました。手につけた鞆《トモ》なども、狩猟の為の霊のありかで、とも[#「とも」に傍点]と言ふ音が、たま[#「たま」に傍点]との関係を示してゐるやうです。
日本には、中国古代の装飾具としての玉を讚める文学的な表現に同感して、喜悦の情を陳べる様になつた前に、玉をたゝへる詞章――つまり玉が含んでいる霊魂をたゝへる詞章――が多く現れてゐたのです。
かう言ふ信仰が合体して、万葉集には、中途半端な表現をした歌が沢山あります。又、さういふ所から起つて来る意味の上の錯覚が、新しい表現を展いて来たものが沢山あります。かう言ふことも知らなければ、古い詞章の意義は訣らないのです。

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あも刀自《トジ》も 玉にもがもや。戴きて、みづらの中に、あへ巻かまくも(四三七七)
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おつかさんが玉であつてくれゝばよい。それをとつておいて、何時も頭のみづらの中に交へて纏かうやうに、玉であつてくれゝばよい。
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月日《ツクヒ》夜は 過ぐは行けども、母父《アモシヽ》が 玉の姿は、わすれせなふも(四三七八
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