識的なあげつらひ[#「あげつらひ」に傍点]をする事は、はじめから間違つてゐます。普通人にも認められる方が、都合のよい処から、さうした岩石が、人の形や、人の顔を備へてゐる様に考へて行くのです。我々の幼い頃、京都辺で、夜、きむすめ[#「きむすめ」に傍点]といふものがよく見えると言はれました。処女《キムスメ》の意味と、木が娘の姿に見える、といふ二つを掛けた、しやれ[#「しやれ」に傍点]た呼び名だつたのです。それと同じ事で、さう見えると言へば、なる程と、人間の雷同性がこれを信じるやうになつて来ます。名高い大洗|磯前《イソザキ》の神が、或朝、忽然と海岸に現れた大汝・少彦名の神像石《カムカタイシ》であつたことは、斉衡三年十二月の出来事で御存じの筈です。
日本の信仰では、霊魂が人間の体に入る前に、中宿《ナカヤド》として色々な物質に寓ると考へられてゐます。其代表的なものは石で、その中で、皆の人が承認するのは、神の姿に似てゐるとか、特殊な美しさ・色彩・形状を具へてゐるとか言ふ特徴のある物です。神像石《カムカタイシ》の場合は、石全体を神と感じる様になつたのです。又、玉だと思つてゐるものゝ中には、獣の牙だ
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