其を密接に考へてゐました。即、尊いたま[#「たま」に傍点](霊)が身に這入らなければ、その人は、力強い機能を発揮する事は出来ないと信じてゐました。だから威力ある霊魂が、其身に内在する事が、宗教的な自覚を持つた人々には、重要な条件であり、さうした人々が、霊魂のありかをつきとめてゆく考へが、玉に到達するのです。日本の歌に、海岸と玉との関係を詠んだものが多いのは、此場合も、海岸に玉が屡、散らばつてゐるから、といふのではなく、霊魂をつきとめる特異な経験が、海岸のある時期に多かつたことを意味してゐるのです。其特殊事を、さうでない時期にも歌ふやうになつたから、何だか、常住、玉が散布してゐるやうに見えるのです。たとへば、暴風雨の後の海岸は、その印象が平時とは、すつかり変つてゐる。いろ/\な物が、遠くから押し流されて来てゐます。それが、普通に言ふ寄神《ヨリガミ》の信仰の元で、主としては石体です。この信仰は、古代から近代まで続いてゐて、それを発見するのが、宗教的経験を積んだ人の力なのです。我々から見ると、一種の狂的な神経だと言つてしまひますが、どうせ異常精神から来る宗教的経験を、そんな調子に、かれこれ常
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