になると思ひます。万葉集に、

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むらさきの 粉滷《コガタ》の海にかづく鳥。玉かづきいでば、わが玉にせむ(三八七〇)
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といふ歌があります。おなじ万葉集でも「寄物陳思」の歌は、概してつまらない歌が多いものですが、これなども文学的に言へば、大きに失望させられる歌です。併し、昔の歌は文学的な動機で作つた[#「作つた」は底本では「作った」]ものが少くて、もつと外の動機――ひつくるめて言へば、信仰的な動機――で作つてゐるのです。此歌の意味は「粉滷の海にもぐつて、餌をあさつてゐる鳥――その鳥が、潜《モグ》つて玉を取り出して来たら、おれは、その玉を自分の玉にしようよ」といふので、誰が見ても、すぐ何かもつと奥の方の意味があり相な気がします。まづ極平凡に考へてみても、古代人の饗宴の歌だと言ふことは思ひ浮びます。
年齢も、身分もまち/\[#「まち/\」に傍点]でせうが、およそ同じ程度の知識を持つた同時代の人々が集つて、饗宴をしてゐるといふやうな場合です。その席で歌はれる歌は、列席の人々の知識で、解決出来るものでなければならないのです。併し、昔の人に訣つた歌
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